ルソーと同世代のヒュームによる社会契約批判
ルソーと同世代のヒュームによる社会契約批判
nishio.iconルソーの時代にはヒュームが同世代で、社会契約の概念を批判してたと聞いた。これを詳しく説明して gpt.iconデイヴィッド・ヒュームは、ジャン=ジャック・ルソーと同時代の哲学者であり、社会契約論に批判的な立場を取りました。ヒュームの社会契約批判は、トマス・ホッブズ、ジョン・ロック、そしてルソーらが主張した「社会契約」の考えに異議を唱え、特に以下のような点で批判的でした。 1. 社会契約の歴史的な現実性への批判
ヒュームは、社会契約論が理論的に主張するような「契約」の存在に疑問を呈しました。ホッブズやルソーが「自然状態」を想定し、そこから社会契約によって政府や社会が形成されたとする考えに対し、ヒュームはそれを歴史的なフィクションと見なしました。彼は、人類の歴史において実際に「自然状態」や明確な「社会契約」が存在した証拠はなく、政府は実際には暴力、戦争、権力の強制など、より複雑な要因によって形成されたと主張しました。つまり、社会契約が社会の成立の説明としては過度に単純化された神話であると批判したのです。 2. 人間の本性と社会形成のプロセス
ヒュームは、人間は理性的な判断によって社会契約を結ぶというより、慣習や習慣に基づいて社会を形成していると考えました。彼の哲学では、人間はもともと理性的ではなく、むしろ感情や習慣に動かされる存在とされます。このため、政府や社会の形成は、人々が相互利益を求めて徐々に合意していくプロセスの結果であり、何らかの契約によって突然作られたものではないと考えました。
特に、ヒュームは「同意」による正当性の概念に疑問を抱いていました。社会契約論者は、政府の正当性が市民の合意に基づくと考えますが、ヒュームは実際の政治体制が市民の合意を得ていない場合でも機能していることに注目し、契約による正当性の概念は現実の社会には必ずしも当てはまらないとしました。 3. 政府の起源と正当性
ヒュームは、政府の正当性や権力の正当化は、契約ではなく「有用性(utility)」に基づくと主張しました。彼によれば、政府の目的は社会の秩序と平和を維持し、人々の安全と財産を守ることであり、そのための権力の行使が正当とされるのは、その有用性によって判断されると考えました。 社会契約論は、政府の起源と正当性を個人の自由と合意に求めますが、ヒュームはこれに反論し、現実の政府は合意というよりも、有用性の観点から形成され、維持されているとしました。つまり、政府の存在は「合意によるものではなく、その有用性と機能によって正当化される」と考えたのです。
4. ヒュームとルソーの対立
ルソーは「一般意志」を中心に、社会契約によって全体の利益を追求する合意形成を重視しましたが、ヒュームはこうした理想主義的な契約の概念を懐疑的に見ていました。特に、ヒュームは人間の本性をより現実的に捉え、感情や慣習に基づいて政府や社会が形成されてきたと考えたため、ルソーの「自然状態からの社会契約」という理想的な概念に反対しました。
ヒュームは、政府や社会の安定は、個々の合理的な判断や契約ではなく、長い歴史の中で培われた慣習、権力関係、そして社会の有用性に基づいていると考えたのです。このため、社会契約という理念的な枠組みで政治や社会の起源を説明することに対し、批判的な立場を取ったといえます。
まとめ
ヒュームの批判は、社会契約論が人間の本性や社会の形成過程を過度に理想化しているという点にあり、社会や政府は契約や同意ではなく、慣習と有用性に基づいて形成され、維持されているという現実主義的な立場に立っています。これは、ルソーの「一般意志」や社会契約の理論と対立しつつも、社会や政治の構造に対する新たな視点を提供するものでした。