マダミスが弱くないことの考察
普通に考えると僕は弱いはずなのに、なぜか弱くない、その理由を考察する
まず僕の自己認識としては人の表情とか感情に対するセンサーが弱く、他人に対する共感的な振る舞いが苦手
そういう人は普通に考えると嘘をつくことが苦手なはず
嘘をついている時に目が泳いでバレバレとか
ところが実際にはマダミスで真犯人潜伏に成功する、これはなぜなのか
ほとんどのマダミスを特定の一人のホストのところでやってるので人間関係による影響を疑ったが、店舗型マダミスや他のところでやった人狼でも同様なので違うか
むしろそういうところの方が成功率が高い気もする
仮説1
「賢いオーラ」を出すことが有害であり、それを理解してオーラのコントロールをするようになった
「賢さ」によってリターンが決まる環境(大学院とか)では、「賢い人」に投資してリターンを得たいプレイヤーがいるから、そのプレイヤーに「賢そう」だと思われることが有益
そのため「賢いオーラ」を出せるだけ出す行動が選ばれる
ところが「普通の人」が多数派であり、力が「一人一票」のような均等に近い割り当てで、ゼロサムゲームである環境では、「賢いオーラ」を出すことは有害
なぜかというとゼロサムゲームのリソースの奪い合いにおいて「普通の人」は「賢い人」にリソースを奪われる確率が高いので、あらかじめ排除することが自分の利益になるから
典型的なケースが直接的な嫌がらせのできる多人数ゲームで、トップが独走すると残りのメンバーがみんなでよってたかって足を引っ張る、出る杭は打たれる
「賢いオーラ」を出してると、序盤のまだ団子のときにすら特定の人に嫌がらせが集中する
こういうことをされると、される側としてはイジメみたいなものなので面白くはない
人狼ゲームは「処刑対象として投票する」という直接的嫌がらせがある多人数ゲームである
ゲームの状況によらず初日や序盤で処刑されがちなのは、ゲーム開始前のオーラコントロールに問題がある
これを理解してオーラのコントロールをするようになった
例えばある人狼会では自己紹介で「人狼は数年前に2回くらい遊んだだけで、どちらも初日で処刑されたのでちっとも面白くなかった」と自己紹介してた
その後マダミスを何十回かプレイしてることには触れるメリットがないから触れない
振り返って考えるとこの自己紹介は序盤の「全員ヒントがないから誰かランダムに処刑しよう」という状況でターゲットになりにくくする効果もあるな(そこまで考えてはなかった)
「少し抜けてるオーラ」
「賢いオーラ」の逆
「少し抜けてるオーラ」を出すことはマダミスなどではとても有用
論理が破綻しても「あれれ、そっかー」とか言って誤魔化せる
仮説1の批判
仮説1は「初対面の普通の人が大多数の場」では確かに機能しうる
だが「賢いメンバーを多く含むマダミスを繰り返している場合」には全然成立しない
仮説1が主要因なら、僕はその繰り返しマダミスの場でボロ負けして、外の場で勝つという差が観測されるはず
そもそも仮説1であっても、人狼サイドで潜伏しきれる理由にはならない
考察
「善良オーラ」
オーラコントロールを理解した上で、繰り返しマダミス環境に適応した結果、別の種類のオーラが生まれている
多分マダミスによって設定がまちまちなので最適解は不明だが、現在の暫定解として
まず自分が犯人を突き止めて犯人を最多得票にする探偵側である場合
探偵側であることが他の人たちに信じられた方が良い
もちろん犯人側に探偵を殺す手段がある可能性はある
がしかし犯人の暴力的手段を止める手段を持ってる人がいる可能性も同様にある
なので広く探偵だと信じられた方が多分いい、それで死ぬゲームデザインならそれはしかたない
なので「自分は積極的に犯人を特定するための行動をしている」というオーラを出す
これが「善良オーラ」
繰り返しマダミス環境を想定するなら、自分が犯人側である時にも同様に「善良オーラ」を出すべき
さもないと差から推測できてしまうから
この結果、たとえ犯人であっても序盤から積極的に犯人特定のための議論をリードする
大前提としてなるべく嘘はつかない
特に自分から付かない
他人の嘘やミスによって誤っている発言、あいまいな発言にフォーカスがあたるようにする
何かとの食い違いが明らかになっても、疑われるのは自分ではない
他人由来誤情報の拡大の具体例
「3つのA, B, Cがある」「Aは属性Pをもつ、Bも属性Pをもつ」
ここから「Cも属性Pをもつ」とは言えないわけだが、人はしばしば間違えてそれを前提にして話してしまう
誰かが「Cも属性Pをもつ」といった場合、もしくは明示せず暗黙の前提として使って主張した場合、それを当然のことであるかのように受け止めてそれを前提とした議論を発展させていく
みんなが当然の前提と思っているものに対して「違うのではないか」と考えることは難しいので議論がしげるほどこの「誤った仮説」が信じ込まれる
僕が嘘をついているのではないので、誰かが誤りを指摘した場合「なるほど、確かに」と受け止めていい
確定でないなら「確かに、その解釈もあり」と受け止めたらいい
誤った前提に基づく議論がある程度広まると、後から前提が間違っていたことに気づいても、どの範囲の議論がキャンセルされるのか人々は理解できなくなる
誤った前提Pに基づいて導出された誤った前提Q, R, ...がある状態
誤った前提Qに基づいた考えを述べて「いやそれはPが正しいとは言えないから」と僕以外の二人が議論する構図になると好ましい、二人は互いを「議論をミスリードする人 / 反論してくる人」として認識し、見ている人もその2人の議論と捉える
マダミスにも色々あって、ヒントが出揃えばガチ論理で答えが確定してしまう「ロジック犯人確定タイプ」と、「犯人っぽさ」が高まっていくだけで確定には至らないパターンがある
前者の「ロジック犯人確定タイプ」は辛い
情報がフル開示されてると流石に勝てない
特に賢いプレイヤーが複数人いると全部論理的に解決して紛れる余地がなくなる
なので嘘を混ぜて、かつ嘘を混ぜたことに気づかれないのがよい、これは難しい
自分から嘘をつきたくないが、他人が間違えるのを待ってそれを拡大するスタイルだと間に合わなくなってしまうことがある
「嘘が混ざってる!誰が混ぜたんだ?」と追求が始まるとバレてしまう
これのうまくいかなかったパターンはバレバレになってしまった
わかりやすく矛盾して、しかも相手方に信頼度をます条件がついてたので勝てなかった
うまく行ったパターンは、僕がついた嘘が結果的に他の人の情報開示の予言になってて「僕が言ってから同じことをいうのはおかしくないですか」と攻めることができた
でもこれは相手方を犯人だと攻めて二人の対立構造にすることはなく「これは犯人特定の手がかりではなくミスリードなのでは」という案を出して相手を乗せた
結果的に作者の用意した推理導線を「これはミスリード」として捨てることができた
後者の「犯人っぽさタイプ」は比較的イージー
「ロジック犯人確定タイプ」をプレイヤーがどんなプレイをしても破綻しないように作るのは難易度が高いので大部分のゲームは「犯人っぽさタイプ」
勝利条件をしっかり読んで、勝利条件にないことを無視する
「AをしてBをしてCをして殺した」というシチュエーションにおいて、他人に指摘されるより早くAとBを暴露しておき、Cを指摘されて「犯人では?」と言われたときに「確かにとても怪しく見えるが、犯人だったらAやBを自分から開示しなくない?」というプレイができる
特にマダミスを繰り返している賢い人にとって「単一のヒントで犯人が確定する設計だとそのヒントを誰が引いたかだけで決まるゲームになっちゃうから、そんないかにも怪しいヒントがあるからって確定はしなくないですか?」というメタ読みを無意識に引き起こしてしまいがち
僕本人は自分自身を「犯人だと疑われてしまっている探偵」だと思い込んでいるので「えー、確かに僕が犯人みたいに見えちゃうな、ちょっと待って、詳しいことを思い出すから(とハンドアウトを読む)」という行動を自然にやる
ここは「善良オーラ」の出しどころ
論理ではなく「犯人だと疑われてしまっている探偵」という解釈を視聴者が持つかどうかの賭け
ここで大きな嘘はつかない
注目を集めているので嘘をついた場合、それに対立する事実を持っている人がいたらカウンターをできるため
僕が犯人でない証拠と解釈可能な事実を探して話すか、素直に証明できる証拠がないと認める
関連した話: ガイスター
非公開情報のあるボードゲームでありブラフの要素がある
僕はこれも弱いことが予想されるが、実際には特に将棋とかの得意な人に対して強い傾向がある
これは自分のコマの色情報を「忘れて」プレイしている
自分のコマが何色であるかを振る舞いの判断に寄与させないので相手の「素直な手だろう」「ブラフだろう」という推測が1/2の確率で外れる
そうすると相手が勝手に混乱する
そもそもメンタルリソースの振り方のゲームだと思ってる
序盤のコマ配置で長考する人がいる
僕は同様の時間をかけて配置してるフリをしつつ実際にはランダムにシャッフルしたコマを配置してるだけ
相手が自分のコマを見て考えている時間、僕も相手の視線や手の動きに注目している
自分の手元だけを見て考えてて、コマAとBを入れ替えたなら、高い確率でそのコマの色は異なる
残り二つでどちらをどちらに置くか悩んでいるならその二つは異なる色
逆に最後の二つをささっと置いた場合、同じ色の確率が高い
これをブラフでやる人も稀にいるが、見てるかどうか確認してくるので自分のコマを注視して入れ替えるなどしてみてないフリをすればブラフが通用しないなと判断される
実際のプレイにおいて
将棋の人は相手手番に「相手がこうしたらこうしよう」と自分のコマを見て考えがち
ところが色の推測の前提となる「相手は自分の色を把握していてそれを判断材料にして行動している」を僕が破壊しているので、思考リソースが浪費される
僕は「自分のコマの色はわからない」ので、相手の思考ターンには相手の思考を観察している
選択肢AとBで迷うんだな、選択肢Cのことは考えるそぶりがないな、という情報からどのコマとどのコマが同じ色かを推測する
そして実際にコマを取って確定情報を得てから、それを使って他のコマの色を推測する
相手方からすると「なんかブラフが通用しないな」「なぜか色がバレてる?」みたいな感じになる
一方で僕の側の色を推測する情報は漏れてこないので差がつく
マダミスとガイスターを合わせて考えると「知ってる情報を『忘れて』考える」という共通点があるのかも
自分が犯人であることを忘れる
自分のコマの色を忘れる
マダミスの場合、完全に忘れるとゲームが困難だから部分的に忘れてるだけだと思う
そういう意味では「犯人は自分が犯人であることを知っていてそれを前提に行動する」という前提を壊しているといえるのか?
でも実際「犯人が自分が犯人だと気づいてない系マダミス」もあるもんな
犯人なのではと指摘されたときに、自分が犯人であることを忘れてるので「自分が犯人だとは思ってないが、自覚がないタイプなのではと言われると反論のしようがないな」となる
でもこれは「このゲームは自覚のない犯人がいる」ということなので、他の自分が犯人だと思ってない人たちも「自分が犯人の可能性がある」ということになる
振り返って考えると「嘘をつくことが苦手である」という自己認識があるので、その状況で目的を達成するために現実認識の側を加工している、とまとめられそう
ガイスターで自分の色を見ない
マダミスでは「自分は犯人ではなく、犯人と疑われやすいようにゲーム設計されている探偵である」と認識している
事実と異なる現実認識を前提にして「正直に活動」すると、結果的に場には事実と異なる情報が混ざり込み混乱して目的を達成できる