ベルヌーイ
ベルヌーイさんがたくさんいすぎて、どの業績がどのベルヌーイなのかよくわからない
顔見てもみんな例のカツラかぶってるし。
ダニエル・ベルヌーイ(Daniel Bernoulli, 1700年2月8日 - 1782年3月17日) ヨハン・ベルヌーイ(Johann Bernoulli, 1667年7月27日 - 1748年1月1日)は、スイスの数学者。フランス語読みでジャン・ベルヌーイ (Jean Bernoulli) と表記されることもある。ロピタルの定理として知られる微分の平均値の定理の発見者である。 父親はバーゼル市の指導者であったフランス系ニコラス・ベルヌーイ(1623年 - 1708年)。レムニスケートに名前の残る数学者ヤコブ・ベルヌーイ(1654年 - 1705年) はニコラスの長男、ヨハン・ベルヌーイは10番目の子である。ベルヌーイ家は17世紀から18世紀にかけて少なくとも8人の数学者を輩出した。ヨハンの子であるニコラスII世(英語版)、ダニエル、ヨハンII世の3人、また、ヤコブの弟でありヨハンの兄である画家のニコラスの子であるニコラスも数学者。
彼は兄とともに、ライプニッツの微積分法の発展に寄与した。彼は他にも、重力場における粒子の運動に関する問題など、応用数学の様々な分野で多くの貢献を成した。さらに、1690年にはカテナリー曲線の方程式を発見し、1691年には指数関数の微積分法を確立した。
Nicolaus Bernoulli (born 21 October 1687 in Basel, died 29 November 1759 in Basel; also spelled Nicolas or Nikolas), was a Swiss mathematician and was one of the many prominent mathematicians in the Bernoulli family.
He was the son of Nicolaus Bernoulli, painter and Alderman of Basel. In 1704 he graduated from the University of Basel under Jakob Bernoulli and obtained his PhD five years later (in 1709) with a work on probability theory in law. His thesis was titled Dissertatio Inauguralis Mathematico-Juridica de Usu Artis Conjectandi in Jure.1 In 1716 he obtained the Galileo-chair at the University of Padua, where he worked on differential equations and geometry. In 1722 he returned to Switzerland and obtained a chair in Logics at the University of Basel.
He was elected a Fellow of the Royal Society of London in March, 1714.2 His most important contributions can be found in his letters, in particular to Pierre Rémond de Montmort. In these letters, he introduced in particular the St. Petersburg Paradox. He also communicated with Gottfried Wilhelm Leibniz and Leonhard Euler.
1713年、ニコラス・ベルヌーイは「サンクトペテルブルクのパラドックス」と呼ばれる意思決定問題によって期待値理論の矛盾を指摘した。ダニエル・ベルヌーイは1738年に発表した論文の中で、リスク回避的な意思決定においては損益の金額そのものの期待値ではなくその金額の対数関数で得られる効用の期待値を判断基準とすることでこのパラドックス問題の合理的解決が可能であることを示した。
1944年、ジョン・フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンの共著による『ゲーム理論と経済行動』が出版された。彼らはゲーム理論を体型化する中でD・ベルヌーイによる効用関数の理論を発展させ、期待効用理論を定義づけた。 ヤコブ・ベルヌーイ(Jakob Bernoulli、1654年12月27日 - 1705年8月16日)は、ヤコブ、ジャック、あるいはジェームス・ベルヌーイとしても知られるスイスの数学者・科学者。ベルヌーイ家の中でも最も卓越した数学者の一人であり、ヨハン・ベルヌーイの兄である。 彼は、ゴットフリート・ライプニッツと交流をもちライプニッツから微積分を学び、弟のヨハンとも共同研究を行う。 彼の初期の業績である超越曲線(1696)とisoperimetry (1700, 1701)はこの共同作業がもたらした成果である。対数螺旋の伸開線および縮閉線は自分自身に一致することを示した。
Ars Conjectandi, Opus Posthumum (推測法、1713)は、彼の確率論の偉大な貢献である。ベルヌーイ試行とベルヌーイ数はこの著作から、彼の功績を記念して名づけられた。