ブレストの批判禁止ルールについての議論まとめ2
ブレストの批判禁止ルールについての議論まとめ2
話す価値もない人たちとみんなで考えた「ブレストした感」を出すためには批判禁止
専門知識などがある人と建設的な議論をするときは批判あり
君とかとブレストする時には明らかに批判OK
この界隈だとみんな批判OKであることが良い状態だとコンセンサス持ってるように見える
じゃあなんで世の中的には批判NGなんだろうねーと思った
批判と否定は異なる 否定は非論理的に可能 否定禁止
自分が意見を言えないのは批判されるから、自分の意見が通らないのは感情的に批判されるからと信じていて実際、他人にはそういう振る舞いをする人が大勢いるからじゃないかな
そもそも、「普通に人」同士でやるブレストはアイデア出しに効果が低いことが実験でも明らかになってたりするけどね
ブレストの非生産性について一番有名なのはこの論文
批判や上下関係などを気にする「普通の人」がやると生産性が下がる。
で、そこにちょっと色付けしたのがIDEOのデザインシンキングだけど、素人がやると幼稚園のお遊戯会になることがアクセンチュアでの5年間で立証されたw
うけるね
なるほど「普通の人」=「批判や上下関係を気にする人」ということね。
「批判や上下関係を気にする人」がブレストをしても有益でないって主張には異論はない。
それが普通かって件も、まあ人数比で考えると普通なんだろうと思う。
「新入社員が副社長にダメ出しして、それを良いことだと全社的に認識してるサイボウズが普通じゃない」って言われると反論し難い笑
批判や上下関係を気にせず、知的水準が高い人でやらないとブレストは意味がないと思っている。
「知的水準が高い」が不明瞭
例えば僕がまったく知的に評価しない人でも、僕がしてない経験をしててそれを言葉にしたり、その経験に基づいた推論をした上でその推論過程を説明できるなら、僕にとっては「ほー、なるほど、そういう視点もあるのか」って有益さがあると思う。
(そういう説明ができるのを知的水準が高いと言うのかもしれないが)
知的水準の高低基準は議論があれど、こっちも異論はないだろう。
知的水準というのは、学歴や学識ではなく、たぶん討議対象と交わる領域に関する専門的知識の有無だと思う。
例えば、高層建築の設計手法に関するブレストに中卒の宮大工は居たら有益だが、薬剤師は有益ではない可能性が高い。文学博士は過去の文献から建築的知見を出せるかもしれない。
あ、同じことを書いているなこれは
「ランダムに弾を撃つと、あたりが出ることがある」という非効率なブレストと、「たくさん打たれた点から、高次の構造を見出す」ブレストには質の違いがあって、後者にはかなりの力量が必要だと思う
自分と異なる意見に対して「賛成反対」に帰着しないまま操作することが可能な記号操作能力が必要かも
仕事でやっててわかるのは日本の大企業の場合、本社勤務のホワイトカラーとブレストするよりも、営業事務とかコールセンター専業勤務の人とやるほうが有益なことが多い
前者はゼネラリスト(笑)の専門性を持たない政治構造に組み込まれた普通の人で、後者は専門職のプロフェッショナルなことが多いからだ。
足りない頭から生成されてランダムに打たれたように見える弾の99%はすでに過去に予測検討済だっり見当違いな内容が多いので、そんな宝くじを引きにいくお遊戯に時間を費やすのは無意味だ。
Excel使わずに電卓で検算するような行為
ブレストやハッカソンが無意味と言う話をしているのではなく、素人を集めてそれをやらせるのが時間の無駄で、さらにそれにプロが付き合うのが人類に対する罪深い行為だと思っている。
つまり「ゼネラリストではなく専門性を持って現場に近い位置にいる人たち」と「たくさんの情報から高次の構造を見出す能力を持った人」の組み合わせでなければ価値が生まれないし、大部分のケースではその組み合わせができてない、ということかな
そう思います。+民主主義的な意識を持っている。
批判や上下関係を恐れない。批判するなというのは言論を制約していて、民主的ではない。
ブレストを凡人がつかって効果が発揮したのはインターネット以前のアイデアや知識の伝播に時間がかかった時代。
インターネットで何が変わったの?
かつてはアイデアの発生、検証という流れがあった時に、かつては近しい存在じゃないと出来なかったので、相対的に優れたアイデアが発生しても泡沫に消えていった。
なので、何度もアイデアを再発明させる必要があり、ブレストは有効だった。
あーなるほど。アイデアは複製可能な財だが、かつて口頭と紙で管理されてた時代には媒体のせいで複製に歯止めがかかっていた、インターネットでデジタルコミュニケーションが生まれたことで容易に複製や検索ができるようになった、と。