ドキュメントづくりと教育は違う
僕はこれを前者だと思う。SECIモデルを踏まえて考えると、ドキュメントを整備するのは、人の中にある暗黙知を表出化させる作業。 この知識を、再び誰か別の人の暗黙知の状態に復元するには、誰か別の人が時間を掛けて学ぶ必要がある。内面化の作業が必要。 そうでない使い方、たとえば「このドキュメントを見ながらならだれでも作業ができる」という状態を作ることは、そのドキュメントを作った人と同じことができる人を育てたのではない。「ドキュメントに書かれていることならできる。ドキュメントに書かれていないことが起きたら何もできない」というタスクのこなし方でよい、と割り切ってタスクの側を変えているのだ。
企業の周囲の環境は変化する。ドキュメント化された手順も、いずれ陳腐化し、更新が必要になる。事業の存続を考えるなら、手順を生み出した人に手順をドキュメント化させるのではなく、その「手順を生み出すこと」と同じことができる人を育てる必要がある。