ジェンドリンと西田の時間哲学
claude.icon西田幾多郎の哲学とジェンドリンの心理学には、時間の捉え方において興味深い共通点があると思われます。
西田は、真に直接的な経験を与える「時」は、カントのような形式的な時間ではなく、ベルクソンの「純粋持続」のようなものだと考えました。彼によれば、意識現象の根底には、それを包み限定する意識、すなわち主客合一の直観や純粋活動の意識があります。真に主客合一の直観の立場では、すべてが現在であり、「時」はその中に消えていきます。
一方、ジェンドリンは時間を直線的に進行するものとしてではなく、未来と過去が交差しつつ生起するものとして捉えています。彼のプロセスモデルでは、「暗在的含意」のなかへ生起することによって時間が生み出されると考えられています。つまり、時間は直線的に過去から未来へ向かうのではなく、過去と未来を行き来しながら、それらを変化させつつ生じるのです。
両者に共通するのは、時間を直線的・形式的なものとしてではなく、生きられた経験の中で動的に生成されるものとして捉えている点だと言えます。西田の「純粋持続」や「主客合一の直観」における時間は、ジェンドリンの「暗在的含意のなかで生起する時間」と重なり合うように思われます。
また、西田が「意識現象の根底にある超意識的なもの」を重視したように、ジェンドリンも「まだ言語化されていないもの」に着目しています。これは両者が、意識や言語化される以前の、より根源的な層に時間の本質を見出そうとしていることの表れだと言えるでしょう。
このように、西田の哲学とジェンドリンの心理学は、時間を生きられた経験の動的な過程として捉える点で共通しており、意識や言語化される以前の層に時間の本質を見出そうとする姿勢も似ています。ただし西田が純粋に哲学的な思索を展開したのに対し、ジェンドリンは心理療法への応用を視野に入れている点は異なります。しかしその差異を超えて、両者の時間論には示唆に富む接点があると言えるでしょう。