クリーンスペース+KJ法実験
先日の「クリーンスペースとKJ法を合体する実験」では、結局のところ視点は「KJ法の付箋を俯瞰している視点」と「KJ法のマップの中を(バーチャルに)移動している視点」の2つだけしかなかった。
クリーンスペースでは
「6つの視点を出すことが大事(一度複雑さに挫折してから新しい視点に気付くから)」
「物理的に動くことは必須、紙の上で動いたつもりでやるなんてのはダメ」
(物理的に動くことによる身体的な感覚が気づきの促進に重要だから)
という意見がある
それを踏まえると「KJ法のマップの中の視点」をもっとたくさん出すべき。
というわけで、自分がKJ法のマップの中にいることを前提とした上で6つ場所を出してみた
1: 野中幾次郎の「知識創造の方法論」と「知識創造企業」
2:コンピュータサイエンス
3:数理科学
4:哲学
5:心理学
6:戦略サファリ
記録のためにメモ
https://gyazo.com/f3a7ce45ab65c8864f1a8cdeaab2b0f7
6番に立って「ここであなたは5について何を知っていますか?」
5:心理学って個人の心の動きについて考えるけど、戦略論のレイヤーでは個人の心理じゃあ細かすぎる
6の視点で4について:哲学なんてほとんどが実用的じゃない。プラグマティズムはまあ許せる。
6の視点で3について:数理科学は戦略論にも有益。戦略をゲーム理論的にとらえる一派もあるし、組織行動の定量的な評価なども。
6の視点で2について:コンピュータサイエンスが戦略論になにをしてくれるのかさっぱりわからない。遠くでそっぽを向いている感じ。
6の視点で1について:知識創造企業は戦略論の学習を重視する一派の重要な文献の一つだ。1が最も身近な位置にあるのもうなづける。
では、5に移動する。
5心理学の視点から6戦略サファリについて:位置がぼやけている。まあ知識創造企業の隣に置かれているけど、この本は「10の考え方がある」という紹介なのだから、本質的には10個の位置に散らばるべきものなのではないか?この配置は実質、学習を重んじる一派のことしか考えてなくない?
5の視点で1について:あれは形式知と暗黙知を区別して、その相互の変換が知識の創造に重要だと主張した話だ。暗黙知に関してはポランニーなど哲学よりのものもあるが、神経科学的基盤のあるこの視点からすれば言語化されていない種類の認知が存在するのは当たり前のことで、むしろ哲学が言語化された形式知を当たり前と思いすぎ。
5の視点で4について:そう。哲学ね。哲学のなかでもメルロポンティとかは単語の意味は事後的に制度化したものだと言っていて、その考え方はしっくりくる。
数字で表現すると混乱してよく間違える。
心理学の視点で、コンピュータサイエンスについて:うん、後ろにあるからよく見えない。あちらもこちらに背を向けているし。
心理学の視点で数理科学について:これも自分からすると後ろだが、振り返ってみてみると(あ、猫がはがしてる、修復)あちらは、真っすぐではないがこちらを見ている。心理学側はあまり意識していないが、統計やデータマイニングとは無縁ではないからなぁ。
では4の哲学に移動する。
で、ここで今知っていることは何か。
哲学の視点は全体が見えるな。でも、哲学だけふすまのレールをまたいだ違う部屋にいる…。
哲学の視点から戦略サファリについて:手前にある知識創造企業の陰に霞んでる。
哲学の視点から知識創造企業について:あれも一種の哲学だよなぁ。知識創造の方法論では哲学の分類と西田哲学への言及なんかもあったし。あの分類はいまいちしっくりきていないが、あれがきっかけで読んだ西田幾多郎の哲学概論は今までかじった哲学の本の中で一番わかりやすかった。
哲学の視点から心理学について:人間について知りたいというモチベーションは一部共通しているかな。
哲学の視点から数理科学について:遠い。
哲学の視点からコンピュータサイエンスについて:さらに遠い。
では、数理科学に移動してください。
数理科学の視点から戦略サファリについて:組織の数理モデルに関する話が間にありそうではあるが、戦略論は組織論とはイコールではないわな。
数理科学の視点から知識創造:遠くてそっぽ向いている感じ。
数理科学の視点から心理学:これが一番自分にとっては正面に近いのだけど、あちらはこっちのことを見ていない感じ。
数理科学の視点から哲学について:距離的には遠い。だけど何か近しいものを感じる。間には心理学が挟まっているけど、心理学ではない何かが間にありそう。中空に浮いている感じか。
数理科学の視点からコンピュータサイエンスについて:とても近くにいるのにすれ違っているなぁ。
ではコンピュータサイエンスに移動。
なんでこんな隅っこにいるんだろう。
ワインバーグの「プログラミングの心理学」とかあったよね。
ちょっと振り向いてみるか。
コンピュータサイエンスの視点から戦略サファリについて:うーん、遠い感じ。ぼやけている。
というより、振り返ったらこれは数理科学とほぼ同じ視点だから見え方は変わらないなぁ。
知識創造に戻ってきた。
で、いま、ここで何を知っているか?
そうか、コンピュータサイエンスはこっちを向くべきだったんだ。
コンピュータサイエンスってなんなんだろうなという感じはある。遠いものもある。だけど、コンピュータサイエンスと知識創造の間には心理学が媒介するつながりが確かにあるはず。
「状況に埋め込まれた学習」とか心理学方面の書籍ということになっているけどそもそもはXeroxのコピー機のユーザインタフェースの話だったはずだし
あ、「プログラミングの心理学」と「ライトついてますか」って同じ著者なのか。
(2018年補足: Computerの支援によるブレインストーミングとか、そもそもグループウェアによる知識共有とかも関連)
今回の実験の振り返り:
クリーンスペースに不慣れなせいでいくつか失敗をしている。
付箋に名前を書いてしまってからそれを置く場所を探している
場所をメタファーとして使う上であんまりよくない。
クリーンスペースではまず場所を探させて、それからその場所で分かることを説明させて、
そのあとで名前を付けさせている。
今回のように先に名前を付けてしまうと概念的なレイヤーで考えてしまっていて、きちんと場所のメタファーを利用できてない感覚がある。
2番の「コンピュータサイエンス」と3番の「数理科学」はまさにKJ法で作ったグループの名前がそのまま使われていて、配置する段階では「知識創造」との近さを全く感じていなかったので隅っこに置かれたのだろう。
まあそういうダメなスタートを切ったけど、最終的に「なんで隅っこでそっぽを向いているんだ」と言ってひっくり返したことで、関係がないと思い込んでいたものの間にいくつかブリッジが存在することを思い出せたわけなので一歩進んだのかもしれない。
クリーンスペースの手順をだいぶすっぽかしている。
場所を移動した後に「で、ここで何を知っているか?」と聞いていないことがある
答えた後に「他に何かあるか」を全然聞いていない。
今度やるときは手順をちゃんと手に持ってやるべきかもしれない。
もしくは一人でやらずに誰かにファシリテーター役をやってもらうか。
更新
https://gyazo.com/361026db4b09e3aaf2ab1b42e89c24a0
2と3が「場所入れ替わった方がよくない?」と言ってる。
哲学は壁を作って引きこもってしまったw
ワインバーグの本を5冊ほど注文しておいた。彼の視点を掘り下げる必要を感じるから。
あらためて振り返ると、1枚目の付箋に「知識創造企業と知識創造の方法論」とか書いてるのコンセプトのレイヤーでものを考えている感がある。
KJ法で作ったラベルはまず全部床に配置してしまって、それから別途クリーンスペースの手順に従ってスペースを6個見つけるべきか。
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20150520
KJ法とクリーンスペースをつなげる実験、前回は質問を空間への名付けと空間への移動の順番を間違えたことで「自分の移動するKJ法」的なものになってしまい、あんまり良い成果にならなかったなー、と終わった直後には思っていたのだけど、それからしばらく経ってそのときのマップをまだ完璧に覚えていることから、マインドパレスとしての効果は絶大だということがわかった。
質問用紙と回答用のノートを用意した
1時間半で終了。かなり有益な結果が得られた。
今回、回答を全部紙のノートに書いていったのだけど、A4で3ページになってしまってここに転載するのが面倒なので近いうちに予定しているクリーンスペース実験の方に書く。 プロセスを飛ばして結果だけ書いても、読む人には何が何だかわからないかと思うけど、最終的に「戦略室」「戦略室デザイン担当」「図書館入口」「マインドパレス建築設計事務所」の4つが重要という結論になった。
今回の最初のKJ法マップはTODOと長期的プロジェクトと目指すべき方向性とかの付箋を並べたものだった。
このKJ法をやるときの視点は、最初は「KJ法の座」と呼んでいたけど、最終的に「戦略室」になった。
その付箋のうちのいくつかは、戦略室ではなく図書館が担当すべきものだということとに気付いた。
図書館からの要請で、タスクが言語化されていないせいで未発達だった領域にタスクが一つ明確化された。
あと「whyを明確化しろ」と要請されて、そもそも戦略室の中の付箋の配置もwhyとhowを意識すべきだよね、と気づいた。
クリーンスペースの実践の方での気づきは、スペース移動後に「今、このスペースで何を知っているか」という質問を忘れがち。スペース間の関係の総当たりの方に意識が向いてしまうからだろう。よくない。前者は回答MUSTの質問なのに対して後者は「何かありますか」だから、前者の方が圧倒的に重要。
スペース的には、たまたまあった椅子に座ったり、たまたまあったソファーに座ったり、たまたま後ろが壁ではなく戸なのでそこを開けてその場所に椅子を移動したり、と物質的な存在のしがらみはあんまり問題にならずむしろクリエイティブに活用する機会になることが再確認された。