キャリブレーション会
月1回、2時間程度の1on1と、チャットとScrapboxを組み合わせた知的生産システム。
立川 智也と西尾の間で2018年後半から自然発生し、3年継続し、双方がとても有益な会だと認識している。 この有益なシステムが立川西尾ペアでしか機能しないとは思いにくい
なので、このページでは固有名詞としての「(立川と西尾の)キャリブレーション会」から「システムが機能するために必要な要素」をピックアップし、他のペアが試すことができる一般名詞としての「キャリブレーション会」概念を作ることを目的としている。
構成要素
1on1
チャット
Scrapbox
2人の人間
1on1
2名であることが必須、3人以上では成立しない
「この会を2人だけのものにするのはもったいない」などと考えて何度も挑戦したが全部失敗している
形式の自由度は高い
対面口頭会話、ホワイトボードのある会議室、公園を散歩しながら、ビデオ会議、音声だけつないで片方だけ散歩
チャットでは代用できない?
やってみたらできるかも?
でもそれは「今から2時間チャットに集中しましょう」という決め事ができれば
…それが可能なシチュエーションなら会話しちゃうな
つまりチャットより価値を感じていると言うことか
チャット
文字でのコミュニケーション手段
複雑な機能は必要ない
歴史的経緯でFacebook Messengerを使ってる
検索すら、今回発生プロセスを確認しようと思うまで必要と思わなかった
典型的なユースケース: 1on1した日の夜とか翌日とか数日後に「XXってYYでは?」とか「ZZって話になったけど違うのでは?」とか言う
Scrapbox
議論の要約を長期的に保存するもの
たぶんとても重要な役割を果たしている
が、現状でもたぶん最適なやり方ではないので今後の改善が必要
試された他の手段
ホワイトボードに書いて議論して写真を撮って共有
ホワイトボードに書いて議論した時、当然「消す前に撮影しよう」となる
でもこれは機能不足、読み返されない
画像なので検索できないのも難点
会話を全部録音して文字起こし
「会話が消えてしまうのはもったいないから検索可能にしよう」と西尾が言い出して人力文字起こし外注にかけるのをしばらくやった
分量が多くて読み返さない
iPadでの手書きメモ
これらをやっている傍で平行して西尾がこのScrapboxにまとめることをやっていた
1on1の議論を元に興味深いことをメモ
「会の記録」とするつもりすらなかった
一見関連のない話題だが前の話題と共通のキーワードにたどり着いたりとかして切り離し困難だったり、特に関連は見出せてないが話がそう転がったのでまだ気づいてない関連があるかもしれない、とかで一つのページに書かれており、全体に対するタイトルとして適切なものが特にないので「思考の結節点」になってる
今思えば「キャリブレーション会2021-08-06」でも良かった
事後的にいくつかの「単独で成立するページ」が切り出されることもある
公開プロジェクトで行われてる
1on1は基本的には公開されない想定で行われている
ので公開するなら許諾を取る必要がある
それは面倒なので「会話によって生まれた自分の思考」をページにまとめる形で発生した
なので「会話の記録」が目的ではない、むしろ立川さん側の発言を書いていない
これに良い点も悪い点もある
良い点、自分の主観によって再構築された密度の高い情報の塊になる
主観によってフィルターされることで密度の低い会話が捨てられる
悪い点、公開前提のせいで、有益なのに捨てられてる情報がたぶんある
非公開グループでやった方がいいのか?
実は非公開グループもちゃんとある
文字起こしやホワイトボードの写真を貼っている
「非公開グループのページを共同編集しながらやろう」をやったこともある
って今見返して気づいたレベル
会話をしているうちに生まれたキーワードがScrapbox上のリンクになる
例
毎月の1on1で時間をおいてキーワードを繰り返し使うことで、有益なキーワードはどんどん枝を伸ばし、成長する
Scrapboxでないツール(例えばGoogle Docs)を使ってたらこの効果はなかったと思う
リンクがつながることによって読み返しがトリガーされる
2人の人間
構成要素である二人の人間にどのような条件が要求されるか
ランダムな2人ではまず間違いなく機能しないので強い制約があると思う
一方で立川西尾ペアには限らないと思う
二人はこの会を面白いと思っている
だから繰り返されてきた
繰り返された後に知的生産が起きたのであって、最初からそれを期待していたわけではないはずだ
二人はこの会をなぜ面白いと思うのか
僕の主観でのキャリブレーション会の価値のコアは、知識の生産とか発見じゃない僕の主観でのキャリブレーション会の価値のコアは、知識の生産とか発見じゃない
そもそも会のトリガーを引くのも話題を提供するのも立川さん
僕は音声会話にさほど欲求がないので「話したい!」とはならない
思い浮かんだタイミングでチャットに送ってしまう
立川さんの中にあるメンタルモデルを引き出して言語化することを面白いと思っていた
理系で、思考パターンも近くて、なのに結婚相談所の所長というぼくが人生で絶対に選ばなかったであろう経路をたどっており、僕がしてない経験をしているはずだから、そこから情報を引き出すことが有益
今でもよく観察すると、立川さんは「話したいこと」のリストを持ってくる割合が多く、僕は「それは何?」「なぜですか?」「違うのでは?」的なことを言ってる割合が多いと思う
それをやっているうちにScrapboxの効果もあって、二人の間に共通言語が生まれ始めた
この共通言語を使って高密度な会話をできる相手が世界に一人しかいない
これによって1on1とその後のチャットが思考の枝を強力に茂らせるドライブフォースになっている
立川の視点
立川 智也.icon
元々高校生ぐらいまで父との議論が習慣であった
キャリブレーション会と呼ぶようになったのは後付けであり、そもそもこれは「生活習慣」であった
「その人が経験したこと」の話を面白いと思う
父の情報源がテレビなど主体になったことで面白くなくなった
nishio.icon立川さんは「人によって異なる」に面白さを感じる、経験もそれに含まれるのかな
nishio.icon立川さんが定期的に会話している他の人との会話に感じる面白さは、同じか、違うか、違うならどう違うのか?
立川 智也.icon西尾さん以外のみんなと話す時は「相手から元気をもらうことを期待」してます。西尾さんから元気をもらうことを、期待していない。
nishio.icon「元気をもらうことを期待して会う人」から「元気をもらう」ことは「その人がした経験」を聞くことによって行われるのですか?
立川 智也.iconYes
nishio.icon思考実験として、僕が一切自分の経験を話さず、今やってるような思考の構造化を促すような問いかけばかりする場合、どう思いますか?
立川 智也.icon面白いと感じると思います
nishio.icon(つまり僕がシンボリックモデリングをやりたいと考えていて、立川さんがシンボリックモデリングをされることを面白いと感じていたことが成立条件?)
nishio.icon「西尾の視点」を読んでみてください
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立川 智也.icon僕の主観でのキャリブレーション会の価値のコアは、知識の生産とか発見じゃない、おじさんが仲良くなるプロセスと、仲良くなったおじさんが楽しい時間を過ごす方法についていろいろ試行錯誤すること、そこに第一の価値を感じてます
知的興奮があるとか、新しい発見があるとか面白いですが、それらも「遊び」という大枠に入ってます
キャリブレーション会を「生活習慣」と感じている
「遊ぶことが生活習慣」
「遊ぶ」の中には「人とのコミュニケーション」が完全に含まれますね。
nishio.iconBMOTの毎月イベント実験が終わった後、それでもまたミーティングをしようとしたのは何故ですか?
立川 智也.icon楽しいから。楽しいことして、それで何かイベントの企画だったり、仕事だったりに繋がるかもしれないなんてお得!みたいに思ってたかもしれないです。時間が経ったのでうろ覚えですが。
nishio.iconなるほど。
(相手の経験が目的ではない、知的の生産でもない、と明確に否定しているということは、それを理由とすることに対して強い違和感があるということだ。
否定した後に出してきた「遊び」という抽象概念は、生煮えの概念。「違和感があるから否定」に後付けで理由をつけるために生み出されたものの可能性が高い。 とりあえず僕の視点からの「相手の経験」「知識の生産」は共通点とはならないことがわかったし、眠いそうなのでここで一旦終わろう)
nishio.icon他の人が同じことをする方法を言語化しようとしてたんですが、まとめると「たまたまうまく噛み合うペアが見つかっただけ」なので再現可能な方法がない。「気の合う人を見つけてください」と言う結論になった
立川 智也.iconそれ素直に考えたら、久池井 淳さんがなぜ我々を引き合わせようと考えたのか、の部分にヒントありそうじゃないですか? nishio.iconなるほど!
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まとめ
共通の友人久池井 淳が「この二人は引き合わせると面白いのでは」と思って二人を引き合わせた (BMOTでの講演とそれに続く毎月イベントをやる実験という)共同プロジェクトをやるうちに意気投合した
楽しいので続けてる