カウンター公共圏
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〈唯一の公共圏〉神話を崩し、カウンター公共圏を肯定する
フレーザーは1990年の論文「公共圏再考」で、ハーバーマスのブルジョワ公共圏モデルをフェミニズム・階級・人種の視点から再批判しました。彼女の主張は端的に言えば、「形式的に身分を括弧に入れて討議しても、実質的不平等が残存すれば周縁者は発言できない」というものです。
そこでフレーザーは**サブオルターナティブ公共圏(subaltern counter-publics)**という概念を提唱しました。これは支配的会話の外側に自律的な討議空間を設け、内部で経験と言語を再構築してから主流公共圏へ介入する回路です。複数の公共圏が並存し競合する構造こそ、抑圧を可視化し社会変革を駆動すると説きました。
「公式公共圏は社会的不平等を棚上げにした議論を前提とし、それがかえって弱者を排除する」(PDF)
さらにフレーザーは、国家/経済/親密圏の境界が流動化する現代では、公共性を「参加の同等性(parity of participation)」で再定義すべきと提案します。これは制度設計・メディア構成・ケア労働の再評価まで射程に入る包括的基準であり、デジタル時代のプラットフォーム規制やオルタナティブ・メディア構築にも理論的な足場を提供します。
両者を対置すると、ブルデューが統計的可視化の暴力を暴き、フレーザーが対抗的可視化の戦略を提示したと言えるでしょう。
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