オルタナティブとしての職人
オルタナティブとしての職人
zerobase IT業界は、まるで日本社会じゃないみたいに、転職がさかん。細かく言うと、IT業界の中でも、ウェブ系に顕著。これについての研究ってないのかな。これを理解すると、なぜ日本社会は「ポスト日本型雇用システム」の夢を見続けるのか(なぜ実現せずに夢で終わるのか)という問題を逆側から理解できる。
zerobase ぼくはハッカー文化と網野史学からこの問題について合理的に解釈できているけど、そういう研究がなさそうなので、機関誌に書こうかなと思ってます。
zerobase 非正規雇用を語る時には「不安定性」という意味でネガティブに「労働流動性」が語られる。そうではなく、「高度プロフェッショナル人材」的なポジティブな意味での「労働流動性」の話をしたい。それが日本社会において成り立ちうる条件とは何か。Web業界は格好の研究対象。
zerobase これは日本人の自画像を見直すことにも通じる。百姓=農民、日本社会=ムラ社会、といった通俗的な自画像の誤りをただすこと。オルタナティブとしての「職人」という理念形を再評価すること。
zerobase 「江戸時代は9割が農民でした」「百姓は厳しい年貢に苦しむ貧しい人々でした」といった通俗的な日本人の自己理解の誤りを訂正しないといけない。誤った自画像に基づく「長い江戸時代」(『「中国化」する日本』)から脱却するために、アイデンティティを訂正するということ。端的に言えば百姓は農奴じゃないし、西洋的(マルクス的)歴史観はまったく当てはまらない。
zerobase 大半の(「由緒正しい」家系でない)日本人が「先祖は百姓=農民」と漠然と思っていることへの問い直し。実際には百姓はずっと少ないし、「百姓」は必ずしも「農民」ではないし、日本全体では広義の「職人」も多かった。職人のあり方・生き方は、ある時期以降「イエ」化していく百姓とも違った。
zerobase いわゆる「勤勉革命」における「自営型」の働き方と経済的インセンティブの問題は、従来型の日本型雇用・働き方の限界や終焉を考える上での大きなヒント。日本が急速な近代化の過程で打ち捨ててきた近世までの伝統を掘り起こし再評価する必要がある。