インタビューにおけるプレゼンテーション
nishio: #未踏ジュニア質問箱 Q: インタビューにおけるプレゼンテーションでは、事前にそれに向けた文章を考えたり、スライドを用意したりする必要はありますか?それともその場で話す内容を指定されるのでしょうか? A: 用意した方が有利だと思います。つづく
nishio: 今年から公式サイトに下記の記述が付け加わりました。 >5分程度で提案の概要についてプレゼンテーションして頂いた後、いくつか質問をさせていただきます。
この経緯を解説します。
nishio: 昨年までは「プレゼンをしろ」とは書いていなかったのですが、それでもプレゼンを用意してくる人が何人もいました。人数比のデータは取っていないのですが、西尾個人の主観的には用意してくる人の方が多いのではという気がします。 nishio: 昨年まではプレゼンのある人とない人が混ざって居たので面接の開始時に メンター「プレゼンはありますか?」
クリエータ「ありません」
メンター「そうですか、では質問ですが…」
というやりとりがありました。
nishio: これだとクリエータが「あれ?もしかしてプレゼンを用意してくるべきだった?!」と焦ってしまうなどの悪影響があるのでは、という議論になり、一律にプレゼンを求めることになりました。 nishio: プレゼンがある場合とない場合では、ある場合の方が話が盛り上がりやすいです。それはなぜかというと、あなたの熱意がどこにあるのかが分かりやすくなるからです。 例えば提案書に「判定技術Xを使って目的Yを達成します。判定技術Xに関してはこういうことを試したけども、判定精度が低くて困っています」と書いてあった場合、熱意はどこにあるでしょうか?
nishio: 「判定技術Xを使って」に熱意があって、Xの精度を高めたいと思っているかも知れません。 逆に「目的Yを達成」に熱意があって、目的が達成できるなら判定技術Xをやめてもいいという気持ちなのかも知れません。
熱意や衝動の源泉は、主観的だったりプライベートな経験と関連していたりして、書類に書くことをためらってしまいます。一方で技術的知識などは書きやすいので分量が多くなりがちです。
nishio: メンターは書類から熱意の所在を読み取ろうと努力していますが、難しいのでしばしば失敗します。分量が多いものに目が行ってしまったりします。 nishio: メンターが熱意の所在を勘違いすると、例えばあなたは判定技術Xの精度改善に興味がないのに、メンターが「精度改善の方法について何を考えているか?」のような質問をしてしまいます。 nishio: 限られた面接の時間が、あなたのあまり熱意を感じてないものについてのやりとりで消費されて、メンターには「なんだかあんまり熱意がなさそうだったな」というネガティブな印象が残ります。 5分という限られた時間では提案書の内容すべてを説明することはできません。なので取捨選択して、あなたが大事だと思うことにフォーカスされます。何にフォーカスしたのか、どんな口調で話すのか、があなたの熱意をわかりやすくします。
nishio: 5分間のプレゼンで何をするかは自由です。ですがここまでの話でわかるように、これはあなたが自分のプロジェクトに対して感じている熱意をメンターに伝えるチャンスです。このチャンスを活用できるようなプレゼンがよいでしょうね。 nishio: 例えば悪い例を挙げると、提案書に書いてある文章と同じものを小さな文字でスライドに貼って、抑揚のない声で読み上げるようなプレゼンはイマイチだと思います。 面接に参加するメンターは全員提案書を読んでいますから提案書に書いてある文章を読まれると退屈しちゃいます。
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shoya140: 時間制限によるフォーカスが熱量の所在を明確化する話とても分かる。 shoya140: フォーカスの観点からプレゼンが熱量を伝える最良の方法なら「来年からはプレゼン動画を提案書に加えてもらう」という案も考えられるのですが、それだと負荷が大きくなって提案書を書き始めるのが遅くなりがちなので、今の形式が良さそうだなと思いました。 shoya140: 一方で、提案書のフォーマットが文章であっても先にスライドを作ったりプレゼンする姿を想像することは効果的で、熱量の源泉を自分で再確認でき、結果として文章の構成が良くなることがあります。私自身、論文や提案書が上手く書けないな〜と思うときは先にスライドを作ったりしています。 nishio: 提案書じゃなくて「5分のプレゼン動画」を提出してくださいってスタイルもありなのだけど、これもまた作れる人と作れない人の格差が問題になりそうだなーと思いました。プレゼンする姿を想像するのは実験や開発プロセスでも有用ですね。 shoya140: 「プレゼンを収録する」という作業が想像以上に大変で、本質ではないところにも時間と意識を使ってしまうことをいろいろな場所で実感したので、強く同意です。