イデオロギー
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1. アントワーヌ・ドゥステュット・ド・トラシー(1754–1836)
言葉の初出(1796年頃)
トラシーはフランス革命期に「イデオロギー(idéologie)」という言葉をはじめて体系的に用いました。
著書『Éléments d’idéologie』(1801–1815年刊行)
「イデオロギーとは観念(idea)に関する科学である」という位置づけを示し、人間の思考や観念を体系的に分析する学問として扱いました。
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2. ナポレオン・ボナパルト(1769–1821)
イデオローグ批判(およそ1800年代初頭)
トラシーら“イデオローグ(idéologues)”の議論をナポレオンは「空理空論」と揶揄し、実用性のない理想論とみなして批判しました。
後に「イデオロギー」は、このナポレオンの嘲笑的な使用をきっかけとして、理想論や偏った思想を指す否定的ニュアンスを帯びるようになります。
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3. カール・マルクス(1818–1883)とフリードリヒ・エンゲルス(1820–1895)
『ドイツ・イデオロギー』(原著1845–46年執筆、初刊は1932年)
引用(『ドイツ・イデオロギー』より)
(原文:*Die Ideen der herrschenden Klasse sind in jeder Epoche die herrschenden Ideen.*)
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まとめ
トラシーは「観念の科学」としてイデオロギーを肯定的・学問的に定義。
ナポレオンの嘲笑で「偏った理論・空理空論」のイメージが強まる。
マルクスとエンゲルスが「イデオロギー」を支配階級の思想装置として理論化し、社会批判の概念として定着させた。
現代では、「政治・社会・経済などの広範な分野にわたり、人々や組織の行動を方向づける信念体系」という意味で使われ、肯定・否定どちらの文脈でも用いられるようになっています。
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デステュット・ド・トラシーが自由放任ドクトリンを支持したことは、ナポレオン・ボナパルトの逆鱗に触れた。1806 年に Commentaires の印刷を禁止されたデステュット・ド・トラシーは、アメリカ大統領トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)に訴えて、英語版を出してくれと頼むしかなかった。フランスでの刊行はやっと 1819 年になってからだった。ジェファソンはまた、トラシーの主要経済論考 Traité de la volonté (Eléments第四巻) の英訳 Treatise on Political Economy(1818) を自ら監督した。これはフランスでは 1823 年に Trait d'économie politique として再刊された。 「イデオロギー」という用語を初めて使ったのはトラシーだったけれど、かれはそれを感覚主義者的な意味での「概念の科学」を指すのに使っていた。この用語が否定的な意味を持つようになったのはナポレオンと、後のマルクスとエンゲルスのせいだ。