これは私のものではない/私はこれではない/これは私の自己ではない
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パーリ語の定式句「n’etaṃ mama, n’eso’ham asmi, na me so attā」の和訳が
「これは私のものではない/私はこれではない/これは私の自己ではない」。
釈迦が**五蘊(色・受・想・行・識)や六処(眼耳鼻舌身意)に対し用いる“見方の訓練”で、二番目の説法とされる無我相経(SN 22.59)や六六経(MN 148)**などに繰り返し現れます。(SuttaCentral)
3つの否定が指しているもの
「これは私のものではない(n’etaṃ mama)」…所有化=「~は私のものだ」という取りつきの否定。五蘊は思い通りにならず、所有物ではない。(SuttaCentral)
「私はこれではない(n’eso’ham asmi)」…「私=これ」という自己同一化の否定。対象や状態と“私”を同一視しない。(SuttaCentral)
「これは私の自己ではない(na me so attā)」…不変の**自己(attā)**の観念を投影しない。五蘊に恒常的な自我は見出せない。(SuttaCentral)
※ 後代の説明ではこの三句をしばしば
渇愛(taṇhā)=「これは私のもの**」/慢(māna)=「私はこれ」/邪見(diṭṭhi)=「これは自己」**
に対応づけて解くことがあります(厳密な出典は注釈系)。(drarisworld)
どのように使うか(実践的含意)
1. 対象をとる:たとえば「感覚」や「思考」が起きていると気づく。
2. 三観で観察:
これは私のものではない(コントロール不能・無常)。
私はこれではない(同一化しない)。
これは私の自己ではない(不変の自我ではない)。
こう観ることが、執着の冷却と離欲に直結する、と経は説きます。(SuttaCentral)
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漢訳表現の方が日本人的にはとっつきやすいねnishio.icon
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『雜阿含經』第9経
「色無常。無常即苦。苦即非我。非我者亦非我所。…受想行識亦復如是。」 (oba.org.tw)
無常は苦
苦は我ではない
苦は我のものではない
表記揺れ
これは私ではない
これが私自身ではない