「複雑」に二種類ある
R_Nikaido:
tokoroten:
「その人が認識できる限界の複雑性を持ったものが、その人にとって『学習できるコンテンツ』であるため面白い」
なので、複雑なコンテンツは万人にとって面白わけではないけど、それが認識できる限界の複雑性の人にとっては非常に面白く感じる
nishio:
二人の意見は矛盾していない
「カジュアルゲーマーは要素を増やす要望をしがち」「それによってゲームが複雑になる」
少ないボタンの組み合わせによって効果を発揮させることは多くの人の認知にとって負荷が高い=「認知的に複雑である」
だから「一つのボタンを押せば一つの機能が発動する」という「認知的に単純な設計」が選ばれる
その結果として、テレビのリモコンはボタンだらけになり、リモコンの見た目は「複雑」になる
> R_Nikaido: ゲームはなぜどんどん複雑になり要素がゴチャゴチャする方向へ進んでしまうのか、ということを最近考えてたんだけど、それまでは「続編や他作品との差別化のために要素を追加して行かざるを得ないから」ということだと思ったんだけど、実はそれだけではなくて、「複雑な方が多くの人は面白く感じる」 これは認識が違くて、「その人が認識できる限界の複雑性を持ったものが、その人にとって『学習できるコンテンツ』であるため面白い」という話
なので、複雑なコンテンツは万人にとって面白わけではないけど、それが認識できる限界の複雑性の人にとっては非常に面白く感じる
tokoroten 複雑性が低いコンテンツは「単純すぎて学習することがないので面白くない」 複雑性が高すぎるコンテンツは「複雑すぎて規則性が発見できないので、学習できないので面白くない」
複雑性がちょうどよいコンテンツは「規則性を発見して学習できるので面白い」
tokoroten たとえば、5歳児にとっては〇×ゲームは、「規則性を発見して学習できるので面白い」のだが、大人にとっては「単純すぎて学習できないので面白くない」わけだ tokoroten というフロー理論とゲームデザイン、脳科学とゲームデザインの話が「『おもしろい』のゲームデザイン」という本に書かれているわけだが、 デザインと翻訳がいまいちで、本の主題となるこのテーマが正しく伝わらない可哀想な本……
R_Nikaido ゲームはなぜどんどん複雑になり要素がゴチャゴチャする方向へ進んでしまうのか、ということを最近考えてたんだけど、それまでは「続編や他作品との差別化のために要素を追加して行かざるを得ないから」ということだと思ったんだけど、実はそれだけではなくて、 「複雑な方が多くの人は面白く感じる」
R_Nikaido そう思った理由としてひとつはアーマードコアがある。このゲームは死ぬほどパラメーターがあってそれをプレイヤーに見せていくスタイル。正直意味がまったく分からないんだけど、だからこそ「すごく高度なゲームなんだ」ということが認識でき、ロールプレイとしてワクワクさせてくれる。 R_Nikaido ソウルシリーズとかも同様にあの意味が分からない感じの世界観だからこそ「凄い世界にいる」感覚が得られ、遊んでいてワクワクさせられる。 そうやって「難しい」「分からない」がある状態って、やっぱりワクワクするものだよなあ、と。エヴァとかもそうじゃん。
R_Nikaido あともうひとつ思ったことは「要素が多いことはカジュアルに楽しみたい人にとってプラスになる」ということ。ずっと逆だと思ってた。カジュアルに楽しみたい人向けに要素をシンプルにした方がいいのではと思ってた。 けどこれも違う気がする。
R_Nikaido NINJA VS VIKINGを出したとき、みんなの感想を色々見たのだけど、ゲーム慣れしてない人ほどその中に「ダッシュが欲しいね」「必殺技が欲しい」みたいな感じでもっと要素が欲しいという風に言ってくる。逆にゲーム慣れしてる人は与えられた要素でどう攻略するか考えていた。 https://pbs.twimg.com/ext_tw_video_thumb/1376063894477709314/pu/img/SCuWGg7enOHsaJqu.jpg#.png
R_Nikaido つまり、カジュアルに楽しみたい人は目の前のハードルをどう越えるか考えてるんじゃなくて、触り心地の楽しさとか新たな要素との出会い楽しんでいる場合が多い。だからむしろ色々要素があった方が、カジュアルな人は楽しめる。 R_Nikaido あと、プレイヤーができる行動の種類が多かったらそれだけで「色々試せる余地がある」ということで、カジュアルに楽しむ人にとってはそっちの方が良さそうな気がする。 「剣で戦って苦戦したら、じゃあ弓を使ってみよう、それもダメなら短刀を使ってみよう。お、短刀だと戦いやすいな」みたいな。
R_Nikaido もし仮に剣しか使えないゲームだったら、剣で苦戦したとしてもそこから逃げることができない。どうすれば有利に戦えるかしっかり立ち回りを考えなければいけない。それは頭を使うし、苦しい行為だ。 だからシンプルなゲームは縛りプレイを強いてるような感じになっちゃうなと。
R_Nikaido It Takes Twoなんかはかなりカジュアルで、恋人とか家族とかと遊ぶような感じのゲームなんだけど「空中ジャンプ」「回避ボタン」「空中ダッシュ」「壁張り付き」「壁ジャンプ」など結構複雑な操作をさせるんだよね。 しかもそれぞれシステム的に絶対必要というほどでもない。でもこれ「いる」だった。
R_Nikaido 穴をジャンプで飛び越えるというシチュエーションがあるとする。もしジャンプしかできないゲームだと「助走をしっかりつけてタイミング良く踏み切る」ということをしなければならない。 一方It Takes Twoは「ジャンプ → 空中ジャンプ → 空中ダッシュ」で飛び越えさせる。
R_Nikaido と説明するとIt Takes Twoは難しそうに感じるけど、操作性がものすごく良いので助走とか踏み切るタイミングとか全然気にしなくてよく、実質的に適当なタイミングでジャンプボタンとダッシュボタンを押すだけで飛び越えられるようになってる。 R_Nikaido 結果、It Takes Twoで穴を飛び越えるのはむしろ「凄く簡単」になってる。空中制御がやりやすいので方向の微調整もやりやすく、ミスったと思ったら元の足場に戻ることもできる。 また、空中でやれる操作があるので、操作の楽しさとしても上がっている。
R_Nikaido だからIt Takes Twoはジャンプ関係の操作を複雑化することで、難易度を下げつつ操作の楽しさを上げることができており、簡単な穴を飛び越えるだけでも退屈さを感じなくて済むという利点があり、カジュアルに楽しむ人にとってもそっちの方がいいんだなあ、と。 R_Nikaido よく考えたらいまどき「ジャンプして着地するまで何もできません」みたいなゲームはほとんどないもんな。大体のゲーム二段ジャンプできるし、マリオだって色んな形で空中で軌道を変えられるようなアクションが用意されてるもんなあ。 nishio それでニカイドウさんの観察による「カジュアルゲーマーは要素を増やす要望をしがち」がなぜ起こるかというと、テレビのリモコンがボタンだらけになるのと同じ原理なわけだ。組み合わせによって効果を発揮させることは多くの人の認知にとって負荷が高い。