「偉そうな人が得をする社会」は終わった
地方に行って思うのが「偉そうに振る舞う人のほうが得をする社会」だったのだなーーということ。偉そうに振る舞った方が、良い席を用意されたり、いろんな人にペコペコされたり、全て優先される。そして、権威や恐怖で人を動かす姿を見て育つと、そういうやり方を次の世代も学んで、そちらの側の方が得をすると思ってそう振る舞ってしまう。 でも、「偉そうに振る舞う人のほうが得をする社会」は終わったと私は思っている。なぜ?
大きな価値を持つものが、情報やアイデア、人の共感などになったから。偉そうにして人の話に耳を傾けない人には、そういったものは集まってこない。まだ未熟と思われがちな新しい時代の意見などは特にそう。さまざまな情報や相談、未成熟な意見、突飛なアイデア、そういうことがいつでも飛び交う場所に私は居ようと思っているし、そういう場所にいさせてくれる周囲に感謝している。
色々理由は書いたけど、偉そうに振る舞うこと、かっこよくない。まあ、一番はそれだw
そして、なんか威張り散らす長老みたいな人を見たら、ああこの人は「偉そうに振る舞う人のほうが得をする社会」の残兵なんだなー、早くこっち側においでよと思えばいいよ。
恐怖で人を動かすことがなぜ機能しにくくなるか
行動の選択肢が増えるから
企業をイメージするのがわかりやすい
ある企業でしか働けない場合、その企業の偉い人の機嫌を損ねることは大きな損失、耐え忍ぶしかない
他の企業に転職してもいい場合、相性の悪い上司の下で耐え忍ぶよりもさっさと他のところに移動したほうがいい
多くの人が後者を選ぶようになると「恐怖で人を動かす」タイプの人は単に避けられ、低いパフォーマンスしか出せなくなる
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