「使ってみること」の真の価値と観測者の認識の差異
要約:
新しいことを「使ってみる」ことが目的の場合、何に使うかはさほど重要ではなく、それを発信することで同じ行為をしている人を見つけるためのシグナルとなる。同類の人はこのシグナルを正しく受信するが、そうでない人は「どうでもいい」対象に意味を見出そうとする。
「どうでもいいこと」を繰り返すうちにノウハウが蓄積され、それを活用して「どうでもよくないこと」に取り組み始める。この段階では、「どうでもいいこと」とは異なる方法で発信されるため、観測者には止まって見える。しばらく経って完成度が高まってから出てくる。観測者には飛躍が起きたように見える。 「どうでもいい」対象に意味を見出した人がそれを繰り返すのに対し、「使ってみる」ことに意味を見出していた人は、繰り返される「どうでもいい」ことには関心がなく、「もう見た」と思っている。報酬確率が下がると、短期的な報酬しか見えていないためボタンを連打してしまう。 TwitterでのChatGPTの活用が大喜利ばかりだと言われる中で、一歩先を行く人は、ローカルでLLMを動かしたり、ベクトルDBを使ったり、American Equityについて話したりしている。 input
nishio 「使ってみること」が目的の場合、何に使うかはどうでもいい。それを発信するのは同様の行為をしてる人を見つけるためのシグナル。発信されたものを見た人が同類ならシグナルを正常に受信するが、そうでない人は「どうでもいい」対象に意味を見出そうとしてしまう。 nishio 「どうでもいいこと」をやってノウハウが溜まってくると、それを活用して「どうでもよくないこと」をやりはじめる。これは「どうでもいいこと」と同じようには発信されない。観測者には止まって見える。しばらく経って完成度が高まってから出てくる。「溜まって」ない人には飛躍が起きたように見える。 nishio 「どうでもいい」対象に意味を見出してしまった人がそれを繰り返すのだけど、その「どうでもいい」対象で「使ってみる」をしてた人は「使ってみる」に意味を見出してたので、繰り返される「どうでもいい」には関心がなく「もう見た」と思っている。徐々に報酬確率が下がるとボタンを連打してしまう。 nishio ボタンを押し続けないと報酬がもらえないと思うのは短期的な報酬しか見えていないから。 nishio あ、話のきっかけは「Twitter上のChatGPTトークが大喜利ばかりだ」って話で、僕が「自分の一歩先を歩いてるな」と感じるシグナルを出してる人は今どんなシグナルを出してるかというとローカルでLLMを動かすとかベクトルDBを使うとかAmerican Equityの話をするとかしてる(最後のは僕がかなり遅れてる