Kozaneba:コンヴィヴィアリティ
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イヴァン・イリイチ
「宴会気分」とは違う、と本人が言っている
スペイン語のエウトラペリア(eutrapelia)
節度ある楽しみ
イリイチ「コンヴィヴィアルという用語を人間よりもむしろ道具に適用することによって、混乱を未然に防げるのではなかろうか」
防げてなさげ
脱学校の社会
エネルギーと公正
脱病院化社会
コンヴィヴィアリティのための道具
シャドウ・ワーク
ジェンダー
H2Oと水
コンヴィヴィアルな社会
「現代の科学技術が管理する人々にではなく、政治的に相互に結びついた個人に仕えるような社会」
「道具が責任を持って限界づけられた現代社会」
スペイン語
エウトラペリア
eutrapelia
英語
宴会気分
OEDの指示する意味
まじめな意味
節制ある楽しみ
節度
人
アリストテレス
トマス・アクィナス
神学大全
2.2.186.5
修練によって得た創造的な遊戯心
答えの3番
節度
あらゆる楽しみの排除
ではなく
人格的な結びつき
から気をそらせる
に対して破壊的である
楽しみ
だけを排除する徳性
友情
よろこばしさ
より包括的な徳性
物
道具
人格的な結びつき
における
節制ある楽しみ
優雅な遊戯心
破壊することがある
ヒューゴー・ラーナー
「遊戯における人間」
カトリック司祭
産業主義時代の終焉
パッケージ化
学校化
言語・神話・儀式・法の変化
産業主義的生活様式
諸職業
大衆教育の市場商品化
健康保険への強制加入
公共輸送システム
どのようなサービス機関の産業化も
商品の過剰生産に似た効果
人間と道具の関係
人間生活の多元的均衡
科学上の発見
機能の専門化
価値の制度化
権力の集中
官僚制
機械
付属物
人間の
能力
管理
自発性
範囲
拡大
他の個人
機能
自由
要求
によってのみ制限される
規模の限界
機械が奴隷
新たな種類の奴隷制
なるほど、一人でお茶をたてるのは間違いなくコンヴィヴィアルだし、3Dプリンタで自分のためのものを作るのもコンヴィヴィアルだ、納得。イリイチ「人は物を手に入れる必要があるだけではない。…物を作り出す自由、自分の好みにしたがって形を与える自由、他人…にそれを用いる自由を必要とする」p.39
コンヴィヴィアリティの剥奪=単なる消費者の立場への降格
僕の「バーチャルオフィスは、誰かが作ったワールドに単に入って使うのではなく、自分たちで変更することができるべきだ」という考えは、つまり「誰かが作ったものの単なる消費者の立場に置かれるのはコンヴィヴィアリティの剥奪だ、自分の好みに従って形を与える自由が奪われた状態だ」となるわけだ
p.34の「コンヴィヴィアルな軍隊」というこの言葉の使い方も納得できる。つまり、個別的に手作りされている「ゲリラ兵」がコンヴィヴィアルな軍隊で、同一物の大量生産、大量投入がそうでない軍隊。後者が前者に負けるという話をしている
「コンヴィヴィアリティのための道具」を読もうと思ったきっかけの問い「グループウェアはコンヴィヴィアリティのための道具になるべきか」に関してはYesだし、むしろkintoneは間違いなくコンヴィヴィアルな情報システムを作るのための道具だね
ユーザを「大量生産された情報システムの単なる消費者の立場」にするのではなく「仕事に使う情報システムを作り出す自由、好みにしたがって形を与える自由、他人を世話するのにそれを用いる自由」を与えるわけだから。p.39の解説ズバリそのままだ。
「その構造からしてコンヴィヴィアルな道具であるものがいくつかある。電話はその一例である。…誰でも自分が選んだ相手と話したいことを話せる」p.62
「乗り物が速くなればなるほど、それをいつも満員にしておくことがますます大切になる」p.180 ウケる
思えばウィズコロナのリモートワークで「必要な会議をビデオ会議で行えてても何か不足するものがある」というところを補完するサービスとしてマインクラフトのマルチプレイサーバに目をつけたのは我ながら目の付け所がシャープであった(自画自賛)
マイクラはコンヴィヴィアリティのための道具
自分が作りたい物を作り出す自由、自分が良いと思うように形を変える自由、そしてマルチプレイであることによる「他の人の手助けになるように」物を作り出すわけだ
そう考えるとマイクラサーバ単体ではなく、解説の書かれたScrapboxとセットで考えるべきかもしれないな。マイクラで遊びたい人が1.18のリージョンに移動できるようにテレポーターを置くことと、それが置かれてるから使ってねと解説を書くことは表裏一体。
「コンヴィヴィアリティのための道具」「ある道具がコンヴィヴィアルである」という時のコンヴィヴィアリティと、「コンヴィヴィアルな社会」という時のコンヴィヴィアリティ、イリイチ本人の中では一続きなのだけど長細いから所見では異なる概念に見えて、それでどちらか片方に倒してしまう
あー、なるほど、そもそもカトリックの神父であったイリイチがなんで辞めたかというとローマ・カトリック教会がラテンアメリカに宣教師を送り込むことを悪いことだと批判したからなのか
教会が救済を与えることと、学校が教育を与えることと、病院が医療を与えることに共通の構造を見出しているわけだな
わかりやすいところで学校から行くと、大量生産された均質な教育が天下り的に与えられることによって、個々の生徒の状況に合わせた学びの機会が失われ、自分で学ぶ力がなくなる。与えられた大量生産の教育を消費するだけの人間として育てられ、よく消費した人を一人前、しない人を落ちこぼれとする 「自分でものを作ること」になんで「自立共生って訳語を当てたのかと謎だったが、これはたしかに自立共生だな、作る「もの」が物理的存在でなく信仰や学びや医療の場合も含む抽象度高い概念なわけか
そう考えると「祝祭性」も、祭りは祭りでも「自分ではない運営がやってるイベントを見に行って単なる消費者として消費すること」ではなくて「自分たちで祭りをやること、自分が担ぐ神輿を手直ししたり、作業をしている人に温かいお茶を差し入れしたりすること」という意味での祝祭なのだな
産業主義的な生産性
コンヴィヴィアリティのために道具に限界を課す
「道具」は「物を作り出す生産手段」なのだから、「物」が「教育」を含む以上、「学校」は当然「道具」で、しかし画一的教育をする学校は「コンヴィヴィアリティのための道具」になってないから「脱学校」が必要、ということになるわけだな、抽象度高いな
二つの分水嶺
医者による治療が半数を超える
医療が新しい種類の病気を作り出す
延命費用が治療費用を超える
専門職による独占
医療サービスに対する需要の増加
費用と需要が高まりながら福祉は低下する
専門化を推進することで限界効用が低下する
第二の分水嶺では、それまでの達成によって立証された進歩が、価値のサービスという形を取った社会全体の搾取に対する理論的根拠になる
他の例
学校は教育を提供する効率的な手段ではなくなった
自動車は大量輸送の効率的手段ではなくなった
流れ作業は容認できる生産様式ではなくなった
コンヴィヴィアルな再構築
多元的な均衡
生物学的退化
根源的独占
計画化の過剰
これ「プログラミング」とルビが振られてるが、そのプログラミングか?
違う
知識の得られ方
人々の基本的な相互の関わりあい、コンヴィヴィアルな道具の使用
たとえば母国語
目的を持ち計画化された訓練に従うことの結果
例えば数学
道具がコンヴィヴィアルでないと、教える行為が助長される
道具の専門分化と労働の分業が相互に強化しうる
分極化
廃用化
欲求不満
回復
科学の非神話化
言葉の再発見
法的手続きの回復
政治における逆倒
神話と多数派
崩壊から混沌へ
危機の洞察
急激な変化
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子供が二人で対戦したくてカルタを読み上げる人がいないからScratchで読み上げるプログラムを書いたって話を以前見たけど、それはコンヴィヴィアルだね。Scratchがコンヴィヴィアリティのための道具だからだ。
「自分たちは作ることはできない、買って消費するだけ」という思い込みに囚われてない