KJ法の正しさについて
KJ法の正しさについて
この「正しい」とはなんでしょう?川喜田二郎の主張とイコールであることが正しさなら、川喜田二郎が書いた書籍を直接自分で読むべきだと思います。どんな講師も川喜田二郎とイコールでは無いですから。
今回、この勉強会のために「発想法」の20年後に川喜田二郎が書いた「KJ法 渾沌をして語らしめる」を読みました。印象的だったのは川喜田二郎が5年間で1000枚程度の図解を作ったうちの9割程度はKJ法を使っていないという事実です。何にでもKJ法を使うわけではないのです。 KJ法は目的ではなく手段です。そして手段はKJ法だけではありません。KJ法をやることが目的なのではなく、目的のために適切な手段を選ぶ必要があります。川喜田二郎はラベル50枚のKJ法に10時間程度かかると考えました。これでは日々使うことには不向きです。
KJ法以外にどのような手法があるのでしょうか。川喜田二郎は「KJ法の実務化」の章で「探検ネット」について詳しく解説しています。川喜田二郎の図解の9割は探検ネットで作られました。探検ネットのことを「花火」とも呼びます。この花火をベースにして、日々使うものとして作られたのが「花火日報」です。また実務型花火として「考える花火」を提案しています。 これらの手法は狭義のKJ法ではありませんが、共通の性格を持っています。それは「データを多角的に集める」というところです。KJ法は多角的に集めた大量の定性的データをまとめるために生まれました。考える花火は多角的な視点から状況を把握し情勢を判断することで、判断の質を高め、決断に自信を持てるようにします。
川喜田二郎は「一仕事の達成」が人を育てると考えました。この「一仕事」とは、やることを他人に決められて行う作業的な仕事ではなく、何をやるかを自分で判断し決断し実行する仕事のことです。
仕事では「やること」が決められている、と思う人もいるかも知れません。ですが、よく観察すると与えられた「やること」の中にも、あなたが決めて良い裁量の幅があります。あなたがやることを主体的に判断して仕事を進められるなら、より裁量の幅の広い仕事が任されるでしょう。やることを自分で判断して決められないなら、他人がやることを細かく決めて、あなたはそれを作業的にこなすことになるでしょう。判断力のある人により多くの判断の機会が与えられるのです。
仕事も人生も、テストではありません。学校のテストのように、正しい手順でやれば満点がもらえるタイプのものではありません。例えばあなたが川喜田二郎の著書を熟読して、そこに書かれている通りにKJ法をやって「これは正しいKJ法から生まれた提案書です!」とプレゼンテーションをしたとして、顧客は「あなたはKJ法を正しくやっていて素晴らしいね!満点!!」というでしょうか?そんなわけないですね。
顧客は自分の求めていたものが得られたかどうかしか評価しません。それがどのようなプロセスで生まれてきたかはどうでも良いのです。ですが、顧客は自分が何を求めているのかを明確に言語化できていません。なのであなたには「何を作るか」の判断の余地があります。多角的視点がこの判断の質と決断の自信を高めます。
みなさんは仕事でKJ法を扱うことが多いでしょうから、まず顧客ニーズの把握の話をしました。一方で、あなたの人生に関しては、あなた自身が顧客です。人生はテストの試験問題ではなく、図画工作のようなもので、何を作るか・どう生きるかを決めるのはあなたです。他人が決めて与えるのではありませんし、作品に対して他人が正解不正解を決めるものでもありません。あなたが「良いものを作れた」と満足したり「あまり良くなかったな」と不満足したりするだけです。どんな手法も、あなたが作りたいものを作ることの助けになるなら良い手法です。
この文章は、私が「KJ法の正しさに関しての質問が多いな、良い解説を書きたいな」と考え、思考の整理の手段として「考える花火を試してみる」をして作られました。私は当初の想定より良いものができて満足です。なので私にとってこの手法は良いものだったわけです。 参考文献