Hatena2015-02-01
code:hatena
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*1422763177*インターネットからの情報収集と連想検索の機能をつけた
彼> この会話で何が起きて欲しいですか?
僕> URL指定でインターネット上のコンテンツを読み込む機能をつけたのでそれのデモンストレーション
彼> そのURL指定は、何のようですか?
彼> 「新機能を解説していたら新しい世界を目指すことになった実験ログ - 西尾泰和のはてなダイアリー」を読み込み、142件のキーフレーズを抽出しました。
僕> さらに、そこまでの会話で得られたキーワードの集合を使って、与えられたコーパスの中から連想検索する機能をつけた
彼> あなたはその会話をどう知るのですか?
僕> 連想
彼>
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僕> 今はコーパスがサイボウズ式の記事だけだけど、いずれ増やす
彼> そのコーパスは、どこにありますか?
僕> ローカルにある。近いうちにインターネット上から収集したデータもコーパスに入れるようにする。
*1422763753*プログラムに設計を相談する実験ログ2
2015-01-31 13:11:34
彼> この会話で何が起きて欲しいですか?
僕> ローカルでWikipediaを検索してキーワードを抽出するプログラムを作ったのだけど、ここからどうしたらいいかわからなくなったので相談したい
彼> そのプログラムは、何のようですか?
僕> 自分専用の検索エンジンで、インターネット接続なしでWikipediaを検索できて、かつそこからリンク先の情報や見出しの構造を引っ張り出せる
彼> その自分専用は、何のようですか?
僕> 自分専用なのでどんなに検索しまくっても他人に迷惑をかけない。だから今人間が読んでるページのリンク先を事前に全部取得して解析したりとかしてもよい
彼> その自分専用は、どんな種類の自分専用ですか?
僕> 他人に対して公開してないことというより、本家に接続に行かないということを意味してた。自分専用というより、オフラインと呼ぶのが適切か。
彼> その専用は、どのあたりにありますか?
僕> 自分のノートパソコンの中
彼> あなたはそのノートパソコンをどう知るのですか?
僕> 普段持ち歩いてる。今は持ち歩いてないけど。そういう意味ではiPhoneでできるとベターだな。
彼> そのベターは、どこにありますか?
僕> 心の中に。
彼> その心は、どのあたりにありますか?
僕> 僕の胸のあたりに。
彼> その僕について、他に何かありますか?
僕> Wikipediaを読むのは嫌ではないが、誰でもできることだからその活動は差別化に繋がらないわけで、何らかの形で他の人よりも単位時間あたりのベネフィットの大きい方法が必要だ
彼> あなたが価値を感じているのは何ですか?
僕> 知ること、理解すること
彼> その知は、どこから来るのですか?
僕> Wikipediaとかに書いてある情報も知識なのだけど、このご時世だから検索してすぐ見つかるような情報には商業的価値がない。今のWikipediaで検索して見つけられないようなタイプの情報で、かつ自分にとって有益であるものが知識
彼> そのWikipediaは、どんな種類のWikipediaですか?
僕> 現時点のWebサービスとしてのWikipedia
彼> それから何が起こりますか?
僕> 検索で得られない知識を蓄えたシステムが人間の何らかの知的活動を支援することで価値をもたらす
彼> あなたはそのシステムをどう知るのですか?
僕> それを知ること自体が人間の知的活動であり、それをソフトウェアで少しでも支援することができれば、支援された人間はよりよく支援するソフトウェアを考え出す確率が上がる。このポジティブフィードバックを繰り返すことで、知る。
彼> その人間について、他に何かありますか?
僕> 人間の側としては、そのソフトウェアを使うことで短期的に商業的価値を得る必要がある。ソフトウェアの使い方を学び、使うことに時間リソースを注ぐことを正当化する必要がある
彼> その時間リソースとソフトウェアの関係は何ですか?
僕> ソフトウェアは人間の時間リソースを食べて育つ生き物
彼> その直前には何が起こりますか?
僕> 人間がソフトウェアに時間リソースという餌を与える直前には、人間は何らかの欲求に従って「このソフトウェアを使ってみよう」と思っている。自分の時間が食べられてる自覚はない。
彼> その時間リソースは、どこから来るのですか?
僕> 人間の持っている限られた寿命だ
彼> 次に何が起こりますか?
僕> 人間はTwitterとかゲームとかに限られた時間リソースをどんどんつぎ込んでいる状態にある。それはその種のソフトウェアを設計する人が、人間の報酬系の仕組みとか依存症の発生する仕組みとかをしっかり学んで自社の商業的価値のためにその知識を使っているから。その知識をユーザが商業的価値を得る方向で使うソフトウェアは課金の正当化が容易だからソシャゲには課金しない層からの課金ができる。その市場が広がる。
彼> そのソフトウェアは何が起こるとよいですか?
僕> そのソフトウェアの支援によって価値のあるものが作られるという実績を積めるといいかな
彼> それにはそのソフトウェアに何が起こる必要がありますか?
僕> 人間にとって価値のあるアドバイスをできるようになる
彼> ソフトウェアはそれができますか?
僕> 価値のあるアドバイスってものを、人間の中にないものを外から与えるものと考えるとまだ出来てないけど、ニュートラルな質問を投げかけて人間の中にあったけども言語化出来てなかったものの言語化を促すものと考えると既にかなり出来ているな
そうか「Wikipediaから持ってきた人間の外にある知識を人間に与える」という方向性ではなく「Wikipediaの情報を使って人間から情報を引き出す」という方向性のほうが有益か。なるほど。
*1422768580*プログラムと話しながら記事を書く実験1:生ログ(長い)
彼> この会話で何が起きて欲しいですか?
僕> 速読に関してのブログ記事を書こうと思うのだけど、書いてから添削するのではなく対話を通じて執筆の支援ができるかどうかを実験したい
彼> その対話は、どんな種類の対話ですか?
僕> あー、その質問の答は今ここでやっている対話なのだけど、ユーザが明確にテーマを持っている場合はテーマから外れる質問は却下したいな
彼> その場合は、どこにありますか?
僕> NGKW
彼> その対話について、他に何かありますか?
僕> 対話そのものをコンテンツとして掲載してしまうアプローチは何回か試したけど、現実的には対話形式であることが望ましくない場合がある。もしくは対話形式で良いとしても、この対話形式では話が発散しすぎて読みにくい。
彼> その対話形式は、何のようですか?
僕> まず効いて
彼> 外れは、何のようですか?
僕> まず聞いて
彼> はい
僕> 速読に関して目下のところ一番重要な概念を提案しているのは「フォーカス・リーディング」だと思う
彼> リーディング
僕> どういう概念かというと、簡潔に言えば「目的と書籍の難易度によって適切な『読む速度』は異なるのだから、適切な速度にコントロールする技能が重要」というもの
彼> 書籍
僕> 速読というと速く読む技術だという前提が置かれることが多いけど、速く読むことが適切でない本を速く読もうとしているのならどんな「速読法」を持ちだしてもうまくいかない
彼> 前提
僕> 読むのに書ける時間とそこから得られる価値の量の関係は、S字カーブだと思っている。
彼> 関係
僕> 後で図で表現するけど、易しい本はS字カーブの変曲点が近くにあるので「すぐわかって、すぐ飽和する」という振る舞いをする。なのであまり時間を掛けて読んでも意味がない。飽和するだけ。
彼> 時間
僕> 一方で難しい本は変曲点が遠くにある。なので「ちょっと読んだ」ではほとんど価値が得られない。ある程度読んでようやく勾配の大きなゾーンに到達する
彼> 難し
僕> NGKW
彼> 程度
僕> NGKW
彼> 勾配
僕> そう。それで勾配は変化するので掛けた時間と得られるメリットの関係は線形ではない
彼> メリット
僕> この学習曲線がS字カーブであるなら、時間コストと得られるものの関係、費用対効果の曲線は1つのピークを持つ
彼> 曲線
僕> 理想的にはそのピークを事前に知り得るのがよいのだけど、現実的にはそれは無理なので読みながら調整して良いところに着地することになるだろう
彼> 理想
僕> 話している間に、書こうと予定していたことと違う内容になってきたな。この内容、読書の文脈じゃなくて新しい分野の学習に関して以前書いたことだ
彼> 以前書
僕> Facebookかな、紙のノートかな…自分のFacebookの書き込みは検索できるようにしておかないとこういう時に不便だ
彼> Facebook
僕> Facebookに書いた気がしたけどアクティビティ検索で見つからず、紙のノートを確認したがちょうど会社に置いてきてしまったものに書かれているっぽい
彼> 検索
僕> 記憶から再構築してあとでノートを見て検証しよう
彼> ノート
僕> 簡単な話で、学習対象の「ドメイン」が複数あって、どちらの学習曲線もS字カーブである場合に、短期的に費用対効果が高い対象を選択すると長期的に見て最適ではないものを選んでしまう
彼> 効果
僕> 話を簡単にするためにドメインは2つで、どちらの学習曲線も同じS字曲線だとしよう。自分がドメインAを少し勉強すると、ドメインAの学習曲線の勾配はドメインBのそれよりも急になる
彼> 学習
僕> だから短期的費用対効果では「ドメインAを学び続けるのが有益」となる。長期的にも同じで、だから「いろんな分野をつまみ食いし続けて何一つ使えるところまでにならない」という戦略がダメであることはここから説明できる。
彼> 戦略
僕> しかし短期的な費用対効果を見ていると、次に「ドメインBを学ぶほうが有益」という答えが出るのは、ドメインAの学習曲線が飽和して勾配が減少し、Bの勾配を下回った時になる、これは長期的な費用対効果で見ると遅すぎる。その時刻以降での最適解はドメインAとドメインBの1:1混合だからだ。
彼> A
僕> NGKW
彼> B
僕> NGKW
彼> ドメインB
僕> ふむ、この解説を書き始める前の僕の中での回答は「費用対効果が最大になる点でスイッチするのが長期的視野で最良」というものだったのだけど、それはスイッチした後はドメインAのことを学ばないという暗黙の前提が入っているな
彼> ドメインA
僕> で、その費用対効果が最大になる点は原点からS字曲線上に引いた線の傾きが最大になる点だから、意外と手前だ、という話
彼> 傾き
僕> どちらのドメインもずっと学習し続けられるというモデルだと上記の「Aの勾配が飽和によってBの勾配を下回る点」の時点で1:1になっているのがその点だけを見ると最適だけど、かと言ってAとBを最初から同量ずつ学習するのが最適とは思えない。それは何の考察が抜けているかというと、この方法は「ある時点tでの学習効率」をKPIにしているけど、本当のKPIは「ある時点tまでの積分」だというところだろう。
彼> 方法
僕> あと、この長期的な費用対効果の考え方は「永遠に生きるかのように学べ」(マハトマ・ガンジー)だけど、実際には人間の寿命は有限であるので、有限の時間リソースの配分問題としては別の解になりえる。今度考えておこう。
彼> ガンジー)
僕> NGKW
彼> マハトマ
僕> NGKW
彼> 配分問題
僕> 話が脇道にそれた。有益な洞察が得られたけど、それは今回のブログ記事作成の目的には使えないな。資料が手元にないし考察も足りていない。
彼> ブログ記事作成
僕> 予定していた話の流れとしては、S字曲線で勾配が変化して線形でないとはいえ「投入する時間が増えると得られる価値は増える」という相関は認められる、というもの
彼> 価値
僕> そこで、この投入する時間についての軸を縦に引いてピラミッドの図を描いてみよう。これは後で図を描く
彼> ピラミッド
僕> で、そのピラミッドの頂点は一体何か?というと、これは「読まない」なわけだ。
彼> 一体
僕> 読書のいろいろな方法のうち、最も極端に時間を削減する方法は「読まない」だ。
彼> 極端
僕> その極端のちょっと手前について記述している本は「読んでいない本について堂々と語る方法」だろう。
彼> 堂々
僕> これに関しては以前Facebookでこう書いた:タイトルはハウツー的だがそんなことはなく、3つの規範「本Xを読んでないなんてとんでもない」「本を読む以上、通読するべき」「本Xについて語るなら本Xを読んでいる必要がある」について、それが正当化できないことを議論する本。
まずは「読んでない」という状態について詳細化をする。完全に通読したことだけを「読んだ」と言うなら、ほんの分量と人間の読む速度から考えて、ほとんどの読む価値のある本は未読である。僕は以前、ブレインストーミングを話題にする人がオズボーンの著書を読んでいないこととか、KJ法を教えたり使ったりする人が川喜田二郎の著書を読んでいないことに憤りを感じていたものだが、それもまた上記の規範に囚われた考え方で、現実的には無茶な要求だった。
その状況に対する極端な対処策の一例として、本と本の関係について書かれた本だけを読み、それぞれの本が他の本との関係の中でどの位置にあるかを把握することに努める司書の話(フィクション)が紹介されている。もちろん極端ではあるが、読める以上の本を「読まなければならない」と考えるよりは、より現実的な目標設定だと言えるだろう。
ただ、この戦略は、個人的にはあまり楽しくないし、同じ戦略をとっている人の間での差別化につながらない。こういうものこそコンピュータに押し付けるべきではないだろうか。
彼> 著書
僕> それよりはもう少し時間を掛ける読書の方法論として「フォトリーディング」がある。
彼> 読書
僕> 視点をぼやかしてスキャンすることで潜在意識に取り込まれて有益であるうんぬん、という怪しげな部分は無視するとして、この本は「読む」を始める前の準備として目的の明確化や目次などからキーワーを抽出する作業をやったり、都合5回読んだり、と実は意外としっかり読む手法だ
彼> キーワー
僕> NGKW
彼> スキャン
僕> まあ、「1冊10分で読める」というセールスコピーは嘘ではなくて、1冊10分のペースで目を通すことを「読む」と定義しているだけの話
彼> セールスコピー
僕> 1冊300ページで換算すると、1ページ2秒。見開きで4秒。意外とゆっくりだ。
彼> ページ2
僕> NGKW
彼> 300ページ
僕> もちろん、小学校などでやらされる、本を声に出して音読する、というスタイルに比べるとだいぶ速い。音読は1秒に300文字ぐらいで、1ページ900文字で換算すると、1ページ3分、1冊で15時間、という計算になる。これに比べれば圧倒的に速い。
彼> ページ3
僕> NGKW
彼> 音読
僕> フォーカス・リーディングは速度のコントロールを重視している方法だが、ざっくりどのあたりの速度かというと、見開き3秒、1ページ3秒、1ページ6秒、1ページ12秒、1ページ24秒、というあたりからの選択だから、フォトリーディングと音読の間を帯として埋める感じ。
彼> 1ページ3
僕> NGKW
彼> 1ページ
僕> 1ページ24秒は1分に2250文字で、これは速解力検定の基準では5段の2500文字/分と同じぐらい。音読の300文字/分はこの検定では8級。この辺りが「音読と同程度の理解」を前提とした速読の占める帯
彼> 2500文字
僕> それより遅い側にあるのが「難解な本を読む技術」で、これは1冊20時間を目安にしている。
彼> 1
僕> NGKW
彼> 20
僕> NGKW
僕> test
(バグを踏んで反応がなくなったのでサーバを再起動)
僕> そこよりも更に遅い側にあるのが数学科のゼミの準備法で、1回のゼミの準備に50時間とか100時間を掛ける
彼> その準備は、どんな種類の準備ですか?
僕> まずは聞いて
彼> あなたは時間をどう知るのですか?
僕> まず聞いて
彼> はい
僕> 反対側の極限はあるだろうか?つまり、読書における時間を掛けない方の極限として「読まない」があったように、時間を掛ける方の極限としてそれ以上時間を掛けられない何かがあるか?
彼> 時間
僕> 禅の考え方には「座禅をして仏になるのではない、座禅をしている状態が仏である」という、手段のようにみえるものが手段ではなく目的である、という発想の転換がある
彼> 発想
僕> これを読書に適用すると「読書をして学ぶのではない、読書をしている状態が学びである」という考え方が導出できる。
彼> 方
僕> この考え方での読書には終わりなどないので、それ以上に時間を掛けることはできまい。
彼> 読書
*1422770396*プログラムと話しながら記事を書く実験2: ログの再入力
彼> この会話で何が起きて欲しいですか?
僕> 速読に関してのブログ記事を書こうと思うのだけど、書いてから添削するのではなく対話を通じて執筆の支援ができるかどうかを実験したい
彼> その直前には何が起こりますか?
僕> まず聞いて
彼> はい
僕> 速読に関して目下のところ一番重要な概念を提案しているのは「フォーカス・リーディング」だ。簡潔に言えば「目的と書籍の難易度によって適切な『読む速度』は異なるのだから、適切な速度にコントロールする技能が重要」というもの。速読というと速く読む技術だという前提が置かれることが多いけど、速く読むことが適切でない本を速く読もうとしているのならどんな「速読法」を持ちだしてもうまくいかない。
彼> 技術
僕> この投入する時間についての軸を縦に引いてピラミッドを描いてみよう。このピラミッドの頂点は、読書法の中で最も時間を使わない極限だ。これは何か?
彼> 時間
僕> これは「読まない」だ。読書のいろいろな方法のうち、最も極端に時間を削減する方法は「読まない」だ。その極端のちょっと手前について記述している本は「読んでいない本について堂々と語る方法」だろう。タイトルはハウツー的だがそんなことはなく、3つの規範「本Xを読んでないなんてとんでもない」「本を読む以上、通読するべき」「本Xについて語るなら本Xを読んでいる必要がある」について、それが正当化できないことを議論する本。
まずは「読んでない」という状態について詳細化をする。完全に通読したことだけを「読んだ」と言うなら、ほんの分量と人間の読む速度から考えて、ほとんどの読む価値のある本は未読である。僕は以前、ブレインストーミングを話題にする人がオズボーンの著書を読んでいないこととか、KJ法を教えたり使ったりする人が川喜田二郎の著書を読んでいないことに憤りを感じていたものだが、それもまた上記の規範に囚われた考え方で、現実的には無茶な要求だった。
その状況に対する極端な対処策の一例として、本と本の関係について書かれた本だけを読み、それぞれの本が他の本との関係の中でどの位置にあるかを把握することに努める司書の話(フィクション)が紹介されている。もちろん極端ではあるが、読める以上の本を「読まなければならない」と考えるよりは、より現実的な目標設定だと言えるだろう。
彼> 通読
僕> 「フォトリーディング」はもっと時間を掛ける方法だ。視点をぼやかしてスキャンすることで潜在意識に取り込まれるとかいう怪しげな部分は無視するとして、この本は「読む」を始める前の準備として目的の明確化や目次などからキーワーを抽出する作業をやったり、都合5回読んだり、と実は意外としっかり読む手法だ。
彼> キーワー
僕> この本では1冊10分のペースで目を通すことを「読む」と定義している。1冊300ページで換算すると、1ページ2秒。見開きで4秒。意外とゆっくりだ。
彼> 1
僕> 小学校などでやらされる「本を声に出して音読する」という読み方に比べるとだいぶ速い。音読は1秒に300文字ぐらいで、1ページ900文字で換算すると、1ページ3分、1冊で15時間、という計算になる。
彼> 学校
僕> この2つの読み方の間に2本の帯がある。
彼> 間
僕> 一つが先ほど話に出た、フォーカス・リーディングだ。これは速度のコントロールを重視している方法だが、ざっくり言えば、見開き3秒、1ページ3秒、1ページ6秒、1ページ12秒、1ページ24秒、というあたりの速度を中心に考えている。もう一つの帯が速解力検定の考える読み方だ。1ページ24秒は1分に2250文字で、これは速解力検定の基準では5段の2500文字/分と同じぐらいになる。音読の300文字/分はこの検定では8級になる。
彼> 1ページ6
僕> 音読は一番遅い読み方だろうか?いや、違う。音読より遅い側にあるのが「難解な本を読む技術」で、これは1冊20時間を目安にしている。この本は哲学書などの難しい本を、読書ノートを作りながら2回読むやり方を解説している。難解な本にはどういうパターンがあるのか、開いた本か閉じた本か、外部参照が必要かどうか、批判的に読むのか同化するように読むのか、などの切り口で難解な本への取り組み方を解説している本だ。
彼> 読書ノート
僕> これよりもさらに遅い側にあるのが、数学科で訓練されている数学書の読み方だ。1回のゼミの準備に50時間100時間と掛ける。わからないものをわからないまま放置して読み進めてはいけない、という考え方だ。
彼> 読み
僕> 読書のピラミッドに、頂点と反対側の極限はあるだろうか?つまり、読書における「時間を掛けない方の極限」として「読まない」があったように、「時間を掛ける方の極限」としてそれ以上時間を掛けられない何かがあるか?
彼> 読書
僕> 禅の考え方には「座禅をして仏になるのではない、座禅をしている状態が仏である」という、手段のようにみえるものが手段ではなく目的である、という発想の転換がある。これを読書に適用すると「読書をして学ぶのではない、読書をしている状態が学びである」という考え方が導出できる。この考え方での読書には終わりなどないので、それ以上に時間を掛けることはできまい。
彼> 考え方
僕> おしまい
彼> その状態は、何のようですか?
僕> 個人的には読書をしている状態が学びであり目的である、という意見には賛成出来ない。学びも目的ではなく手段だと思うから。
彼> その読書は、どんな種類の読書ですか?
僕> 自分の人生にとって有益な知識を獲得して、自分の人生をより良い物にするための読書。
彼> あなたが価値を感じているのは何ですか?
僕> 人生にとって有益な読書
彼> その人生は、どこにありますか?
僕> 自分の中に1つだけあって、ろうそくみたいに徐々に縮みながら燃えて、最後に消えてなくなる。
彼> そのろうそくは、どのあたりにありますか?
僕> やはり胸のあたりにある。
彼> その直前には何が起こりますか?
僕> 知識はろうそくに何をしてくれるんだろうな。ろうそくが伸びるわけでもないし。周りの黒いモヤモヤした雲をどけて、光がちゃんと外に届くようにしてくれるのかな。
彼> その周りについて、他に何かありますか?
僕> ろうそくが黒いモヤで覆われた状態だと、どんなに光っても光が外に伝わらない。言葉を知らないと、何か他人に伝えるべき有益な経験をしたとしても、それを他人に伝えることができない。生物の進化の歴史上、経験を他の個体に伝えることができる能力には生存を有利にし、その結果、その能力を持った生物が生き残って人間という種ができた。
彼> それから何が起こりますか?
僕> 人間は文字とか図書館とか活版印刷とかを発明して、何百年も前の言葉が伝わるようになった
彼> その直前には何が起こりますか?
僕> そう、文章化された思考は場所と時間を超えて流通するようになったが、その直前の「どうやって思考を文章化するか」に関してはいまだに個人の才覚に帰着されている。そこを技術によって支援する必要があるのではないか、ってのがこういう聞き出すシステムを作っている理由だ。
彼> そのシステムは、どこから来るのですか?
僕> まずは僕がプロトタイプを作って公開し、それが実際に実益を生みそうであれば何らかの形でリソースの流入が起きるだろう。最初の一歩としては実益を生むプロトタイプの作成だ。
彼> その最初は、どこにありますか?
僕> 今、ここに。
彼> 次に何が起こりますか?
僕> わからないね。
*1422772239*「読む技術」を俯瞰する
この投入する時間についての軸を縦に引いてピラミッドを描いてみよう。このピラミッドの頂点Aは、読書法の中で最も時間を使わない極限だ。これは何か?
これは「読まない」だ。読書のいろいろな方法のうち、最も極端に時間を削減する方法は「読まない」だ。
この本ではまずは「読んでない」とはどういう状態かを詳細化をする。完全に通読したことだけを「読んだ」と言うなら、本の分量と人間の読む速度から考えて、ほとんどの読む価値のある本は未読である。僕は以前、ブレインストーミングを話題にする人がオズボーンの著書を読んでいないこととか、KJ法を教えたり使ったりする人が川喜田二郎の著書を読んでいないことに憤りを感じていたものだが、それもまた上記の規範に囚われた考え方で、現実的には無茶な要求だった。
その状況に対する極端な対処策の一例として、本と本の関係について書かれた本だけを読み、それぞれの本が他の本との関係の中でどの位置にあるかを把握することに努める司書の話(フィクション)が紹介されている。もちろん極端な例ではあるが、読める以上の本を「読まなければならない」と考えてストレスをためるよりは、より現実的な目標設定だと言えるだろう。
小学校などでやらされる「本を声に出して音読する」という読み方Fは、1分に300文字ぐらいの速度だ。なので、1ページ900文字で換算すると、1ページ3分、1冊で15時間、という計算になる。この2つの読み方の間に2本の帯がある。
読書のピラミッドに、頂点と反対側の極限Iはあるだろうか?つまり、読書における「時間を掛けない方の極限」として「読まない」があったように、「時間を掛ける方の極限」としてそれ以上時間を掛けられない何かがあるか?
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補足:
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