BANと包摂の関係
コミュニティを荒らす人をbanすることと「誰も取り残さない」の関連について
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趣旨の整理
「誰も取り残さない」(SDGs に象徴される価値)は、多様な背景を持つ人が安心して参加し、機会を得られる状態を目指す。
BAN(排除) は、他者の権利や安全を著しく侵害する行為に対し、共同体が取る最終的な強制措置。
この二つはいったん対立して見えますが、実務上は 同じ土俵で「包摂(inclusion)」を守るための手段 として相補的に機能します。
コミュニティの「基本的権利」と階層
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レベル 目的 典型的な施策
安全・尊厳 ハラスメントや暴力から全員を守る モデレーション、BAN、緊急停止
可視性・声 発言機会を均等化 スレッド分離、翻訳・アクセシビリティ
成長・学習 ルール理解・スキル向上 オンボーディング、メンター制度
最上位の「安全・尊厳」が破られると、下層は機能しません。
従って「誰も取り残さない」ためには、まず安全を脅かす行動を制限する必要がある、という順序関係が生まれます。
「誰も取り残さない」=“何でも許す”ではなく、“安全・尊厳を守る枠組みごと包摂する” こと。
速やかな隔離とケアこそ包摂の前提。加害者保護より被害者保護が優先されるべきというヒエラルキーを明示する。
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理想としては問題行動をする人に対してじっくり反論せずに話を聞いたり、教育をしたりするのがよいとo3はいうが、現実的にはその人にリソースを割くのは合目的的ではないよね
これは人々がただ存在する場であるのか、目的達成のための組織なのかの違い
包摂が目的で作られた場ではない場合、目的達成にネガティブな人をbanするのは当たり前だよね