20180504アジャイルな執筆プロセス
2018-05-04
1: Facebookなどで一人ブレスト(他の人がコメントを付けることもある)
3: 箇条書きであることと字数を明記して販売を開始してしまう(MVPのリリース) 4: 購入者だけが入ることのできるprivateなFacebookグループを用意する(ゲーテッドコミュニティ) 最初の一歩を可能な限り小さく、どこででも隙間時間でできるようにする必要があり、僕の場合はそれが現状Facebookでの書き出し法になっている。公開でやるのもいいし、友人限定でも、自分のみに見える形ににするのでもよい。別に公開にしたからと言って大きな実益があるわけではないので、後で販売するということを気にするのであれば非公開でやればよい。 この段階で生み出されたものは「自分の視点から見たもの」なので、言葉の意味が分からなかったり独りよがりだったりということが起こる。紙の本の執筆においては、原稿に編集からのコメントがつくことで改善のプロセスが回る。
この時「Aという原稿を編集がBにしようと提案して、それを受け入れて原稿が改善される」ではなくて「Aという原稿を編集がBにしようと提案した、ということを観測することで、著者が元々のAという表現に(A1+A2+A3)という要素があり、読者がA2をB2と誤解しうる、と気づいて別の表現にかえる」などが起こっている。これはつまり、プログラムのソースコードをコンパイラに入れてみたらエラーが起きた、ということなわけだ。「あ、この表現だと意図したとおりに伝わらないんだ」ということ。
で、このプロセスが現状ではとても長い。
まあ、時間がかかることには、書いてから数か月遅れでフィードバックが戻ってくることによって、元の文章を第三者的な視点でバッサリ改善できるってメリットがあるのかもしれない。
で、通常は箇条書きは「見出し案」「構成案」などと呼ばれていて、その後で中身の文章を埋める作業があるわけだが、最近の「マッハ新書」の概念は、「そもそも箇条書きの段階でリリースしてしまっていいんじゃないの」「箇条書きですよ、ということをが購入前の読者にちゃんと伝わっていて、合意の上で買うのなら問題ない」「紙での物理的流通を前提として作られたビジネスモデルだと、この質・量では流通できないが、今は別の流通チャンネルがある」という破壊的イノベーション(今シェアを持っているものよりも質の低いものをリリースすることによるイノベーション) MVP的観点から言えば、読みたいと思う読者が存在しないような本を書くことに時間を割くのは無益なので、少ないコストで顧客の存在を検証すべき、となる
「1~2時間のペアマッハ新書」が、時間同期的、時間拘束的であることには若干コストを無駄に増やしてないかという懸念がある、一方で「書き散らした原稿を整理する」というタスクは明らかに「doneの定義が不明瞭」なので、編集者役の側の労働コスト支出が青天井なリスクがある。通常の出版ではこれを「著者が1割、出版社(編集者)側が9割」というレベニューシェアの契約を結ぶことで解決する。(慣習的にちゃんと契約結ばないところも多いのでもめたらすごいもめる) 「2時間のペアマッハ新書活動に対して~万円の対価を頂く」という契約だと、コストが限定される。
通常ペアプログラミングは、おっとこういうところだ。今までこの文章の中で「ペア~」が「ペアプログラミング」のアナロジーで語られてるみたいな説明がまったくなかった。「第三者の眼」ってのはこういうことに気付かせる効果がある(今回は自分で気づいたが) 通常ペアプログラミングは、一人の人がキーボードを使い、もう一人の人はキーボードに触れてはいけないルールを使う。この場合に同じルールをやるべきかどうかは議論の余地がある。ペアプログラミングの場合は、100%自分がやることによって、すべての範囲について自分で理解して行動した経験を積むことが重要。例えば上級者は無意識にコンソールで上矢印を押したりするわけなんだが、それを知らないと自分で入力しようとしてしまう。
一旦自分で入力しようとすることによって、言語化されていない「あ、そこは入力しないで、上矢印押してEnterでいいんだよ」の言語化が促される
というわけでこれは「教育」としては重要なルール、一方で執筆の場合にはどうか?? 著者の思考は整理されなければいけなくて、著者の自分自身の言葉で自分が書いたことの内容を説明できなければならない。これはプログラミングと同じ。地の文章を直接複数人で共同編集してしまうとこの状態が維持できない。一方で口頭でだけ情報伝達するのも非効率。本文を書く人と、脚注を差し込めるだけの人ってのがいいのかもしれない。
編集者の指摘に対して、肌感として半分以上は「編集者の指摘の通りにする」ではなく別の解決(たとえば「その文章(段落)を丸ごとかき直す」)という処置になるのでSuggestionしてもいいけど、即座に削除されるだけかと…
ScrapboxだとCtrl-iしてツリーにぶら下げる形になるか
ペアマッハ新書のアポ取りがめんどくさい問題がなんとかならないか!
4,5は、一つの付加価値のつくり方であるので必須ではない。一方で箇条書きのリリースをMVPであると捉えるなら、当然「購入者の反応を観察すること」にはとても重要な価値がある。 現状の紙の本にはあんまりそういう発想がない。なぜなら、そもそもアジャイルに開発していないから。紙の形にしてリリースした後、頻繁に改訂していくイメージを持っていない。
5の「Scrapboxに原稿を置いて、共同編集を許す」が何を起こすかは未知数だ。それは試した人がほとんどいないのだから未知数なだけ。元原稿をきちんとバックアップ取っておきさえすれば共同編集を許すことによって失われるものは何もない。
A: ない。他のツールでもよい。「大部分の人が既にアカウントを持っていて」「非公開コミュニティが手軽に作れる」「実際にいくつも作って使ってきた実績がある」という理由で僕はFacebookグループを選択している。