2通りの「難しい」
「解がまだ見つかっていない問題の解を見つけること」
「解の候補はあるがそれが正しい解であるか試してみないとわからず、試すコストが高い」
両方が「難しい」と呼ばれることが話をややこしくしてる 両者は相互排他的でない
「解を見つけること」も結局自分で「解の候補」を考えて、それを試すことで実現されているから
「解の候補を得るコスト」と「解の検証コスト」で説明できるのだろうか。
「解の候補は手に入れにくいが、一旦手に入ったら簡単に検証して正しいことを確認できる」
「解の候補は簡単に手に入るが、たくさんの時間を使わないとどれが正解かわからない」
の違い。
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nishio.icon あえて切り離してましたが、話の文脈としては「君は難しい問題を解いている」「いや技術を利益に結び付けることのほうが難しい」という研究とマネタイズの対比でした。 補足説明
技術的に高度なことをやっている人に対して「君はより難しい問題を解こうとしているが、現時点でもマネタイズ可能ではないか」と言う人と「いや、マネタイズの方が難しい」と言う人がいて、僕は両者の「難しい」が別の意味だから「どちらがより難しいか」の議論が無益だと感じた
このコストの差は主体が置かれた立場によって異なります。
そこに比較優位の観念が生まれ、トレーディングの可能性が生まれるというのが経済学の教えるところでしょう。
イノベーションの文脈では、これがオープンイノベーションの正体ということかと思います。
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比較優位の解釈はしっくり腑に落ちます。
その考え方にそえば、マネタイズより技術的問題解決の得意な僕は、技術に専念してマネタイズをアウトソースすべきという結論が導かれるかと思います。
一方で問題解決やマネタイズといった「行為」と、麦やワインのような「消費財」は、財貨としての性質が異なります。
後者は数量に比例した価値があるのに対して、前者はニーズに出会った時に供給できるかどうかで価値の有無が決まるように思います。
この差を無視して比較優位論で判断することに若干の不安があります。
アイディア自体には価値がない、という価値観のことですね。方法論を生み出す側の人たちが感じる不安感はよくわかります。対価を正当に分配されないのではないかという話です。かつては知的財産権がこの分配の正当性を保証してくれましたが、今はむしろ直接に事業のエクイティを持つことでこの分配の正当性を確保することが志向されますね。
創業時のエクイティを持つということは事業のオリジネーションのベネフィットをシェアすることであり、発見者と行動者のベネフィット調整はここで行われます。逆にいうと、ここでフルコミットして事業化の話に乗ってくる経営者がいないアイディアというのは、学術的にどんなに画期的でも価値がないということでしょう。ここにはマッチングといいますかサーチのコストという話が入りますので、そう単純化はできないんですが、図式的に言えばそういうことだと思います。
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なるほど、知的財産権の形でアイデアを物権にしてマネタイズする人と取引するか、法人という新しい人格を作ることでマネタイズの結果を共同所有にする訳ですね。
その通りですね。白色ダイオードやられていた例の先生はまさにこういうことをおっしゃっています。
新しい法人格を作るのではなく、既存の法人に入社することでマネタイズの結果を共有しているのが企業内研究者ということになるか。(ストックオプションや補助金付きの持株会があるならば)
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