階層構造と中庸
階層構造は良くないという思想がある
一方で階層構造はよく使われる
書籍の目次
ファイルのフォルダわけ
なぜか
人間の認知能力には限界がある
限られた時間でなるべく多くのものをわかった気にさせたい
階層構造は認知能力に限界のある人間が能力の限界以上の情報を扱おうとした時に自然に現れる構造だ
ではなぜ「階層構造は良くない」という思想が生まれるのか
認知能力に限界のある人間が、能力の限界以上の情報を階層構造にした
この階層構造はしばしば誤っている
誤った階層構造が維持されると有害
どうすればいいのか
階層を作る場合
階層構造を適宜見直す
階層構造の見直しが、ただの苦労ではなく、有益な知識の整理の時間だと考える
階層を作らない場合
表札作り:KJ法において複数のカードに書かれたことをまとめたカードを作ること
Scrapboxの複数のページに散らばった情報ををまとめて大雑把に解説するページを作る
階層構造を肯定する人も、きちんと機能している整理の過程では「階層構造を繰り返し見直す」という作業がある
階層構造を絶対化はしていない
階層構造を否定する人も、きちんと機能している整理の過程では「大雑把にまとめたもの」を作る作業がある
明確な階層構造にしていないだけで、段階的詳細化はしている
KJ法の「階層的分類をしてはいけない」という考え方も、先に階層を用意してそこに当てはめると「新しい枠組みの発見」にならないからダメと言われているのであって、表札を作って束ねていく過程で作られているのは「階層」に他ならない
どちらの極端でもなく、中庸が正しいのではないか
階層と完璧主義
全てをきちんと階層にしようとする
これは悪い完璧主義
階層分類と完璧主義が合わさった時に害が大きくなるのではないか
全てをどこかのグループに入れなければいけないように思いこむ
現実のデータはそうではない
パッと見てどこに入れるべきかが決まらないような対象を無理やりどこかのグループに入れる
それをやると、次に取り出そうとした時にそれがどこに入っているかわからない
(取り出すときは検索すれば良いという主張もあるがそれはまた今度考える)
入れるべき場所が明確でないものを適当な場所に入れてはいけない
分類しなくても一覧できるものを分類してはいけない
それは一覧性を損ねて、情報の活用を妨げるだけ
「その他」のフォルダがあることを良くない状態だ、失敗例だ、と考えがち
実は「その他」はあるべきなのでは
KJ法的に考えると
まず全部フラットに並べる、一覧性を高めるために
一覧できる限界に近づいてきたら、似ているものをくっつける
この時、良くある階層整理では「フォルダを作って、フォルダに名前をつけて、その中に入れる」が行われる
KJ法は逆に「関連しているものを近くにまとめる、それらに名前をつける」という順
いわば「無名のフォルダを作り、そこに関連していると思ったものを入れてから、フォルダの名前をどうするか決める」という順
あれ?適切なフォルダが思いつかないものを「その他」に入れる必要はないのでは?