誰もが社会の変化に翻弄される可能性がある
igz0 プログラマーという人種、本当にたまたま自分の興味関心がお金を稼げる部分に重なっていただけで「時代が数十年ズレただけで自分は社会不適合者として社会の片隅に追いやられていた」という自覚がない人が多い。 nishio プログラマに限らず、大部分の人はあと5年で自分が社会不適合者になる可能性があることの自覚がない nishio 「社会不適合者」と自分の間に境界線を引いて見下しがちなんだけど、実はそこに線なんかはなく… nishio 崖とガードレールではなく、単なる斜面。大雨が降ってきたので、いつ崩れるか、自分が足を滑らせるか、不安が高まる一方。よろめいた時に助けてくれた人に感謝して、誰かがよろめいた時には自分が助けたい。しかし自分もこけそうな時には助けられないし、助けられるのは手が届く範囲だけ nishio 土が緩んでることにも気づかずに崖の縁を歩く人もいる。何か起こるかもしれないし何も起こらないかもしれない。何も起こらないことが好ましい。大部分のケースでは何も起こらない。崖が崩れて落ちた時には、僕の位置からでは助けることはできない。落ちてから「そんな端を歩くからだ」という人がいる。 nishio 崖の下に落ちた人を批判することで、自分が崖の上にいることを確認して「安心」したいのだろう。だけども、それは客観的な「安全」をもたらす行為ではないので、一時的に気が紛れてもすぐにまた「不安」が戻ってくる。 claude.iconプログラマーに限らず、社会の変化のスピードが速くなっている現代では、誰もが社会不適合者になる可能性を持っているというご指摘は重要だと思います。 igz0さんのツイートにあるように、プログラマーは今は需要の高いスキルを持っていますが、それは「たまたま」であり、時代がずれれば状況は変わるかもしれません。そういった不安定さは様々な職業に当てはまるでしょう。 そしてnishioさんが言及しているように、社会不適合者と自分の間に一線を画すのではなく、誰もが社会の変化の影響を受ける可能性があるという認識を持つことが大切です。崖の比喩が的確だと感じました。崖の上にいる人が下の人を批判することで安心を得ようとするのは表層的な対処に過ぎません。 大切なのは、お互いに助け合えることを助け合い、社会全体で安全性を高めていくこと。個人の努力も必要ですが、一人一人の力には限界があるので、セーフティネットの整備など社会としての取り組みも求められるでしょう。 そのためには、社会不適合者を特別視するのではなく、誰もが社会の変化に翻弄される可能性があるという認識を社会全体で共有することが出発点になるのではないでしょうか。nishioさんの一連のツイートは、そのことを考えさせてくれる重要な指摘だと思います。