解釈は受け手に委ねられる
メディアといえば新聞などのマスメディアであった時代は当事者がわかりやすい強い言葉を使う必要があった
why?
SNSの発展によって「影響力のある個人」の発信力が高まった
この状況で当事者がわかりやすい強い言葉を使うのは筋が悪い
why?
「みずから強い言葉を使うのは弱い証拠」的な価値観の変化? 当事者が解釈を強い言葉で発信するのは「解釈は受け手に委ねられる」の原則を侵害しているから嫌われる?
自分たちとは無関係な影響力のある個人から解釈を引き出す必要がある
今更ながら、学術会議の中の人から「学問の自由」という単語が出てきたのは悪手だと思うのだけれど、SNSなんてなかった昔は、ああいうわかりやすい言葉を中の人が自ら発信するのが正解だったんだろう。いまだと逆に、そうした言葉を、自分たちとは無関係かつ、影響力の強い誰かから引き出すのが目標で
メディアと言えば新聞社ぐらいしかなかった時代は、分かりやすい言葉を当事者がぶち挙げないと、そもそも誰にも伝わらなかった。今は逆に、問題が起きていることは誰もが当たり前のように知っていて、状況の解釈は、発信者でなく受け手に委ねられている要素が圧倒的に大きい