西南戦争と海底ケーブル
欧亜陸上電信線は1872年1月1日にウラジオストクまで開通し、後述のウラジオストク-長崎間及び長崎-上海間、さらには先に敷設された上海-香港間のケーブルと接続された。
1871年(明治4年)、後に長く社長を務めたエドゥアルド・スエンソンを責任者として長崎-上海間、次いで長崎-ウラジオストク間の海底ケーブルを敷設し、日本の国際電信事業を開始した。さらに、翌年開通した欧亜陸上電信線経由で日欧間の通信が始まった。
西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。
1869年(明治2年)には東京・横浜間で、電信による電報の取り扱いがはじまった。明治政府は電信に力を入れており、数年で電信網は全国へと張り巡らされていく。西南戦争のときは、熊本、長崎まで有線が敷設されていた。