脱構築装置つき宗教
『中阿含経』の中の『阿梨咤経』で、釈迦は、「私の教えは川を渡るための筏のようなものである(欲望に流されず、安寧な世界へと到達することの比喩)。そして、向こう岸に渡ったら、筏を捨てていけばよい」と語っています。この経典では、長じよう夜や(迷いの闇)の中にいる者に対して、欲望を捨てていく道を説いているのですが、究極的には仏教も捨てることを述べているのです。つまり、「すべての執着を捨てよ」という教えは、その教え自体にも執着するなということです。すごい話ではありませんか。ある宗教体系がその内部に自己否定を設定している、そう考えることができます。こういう宗教体系はなかなかありません。いわば「脱構築装置」(構築されたものの内部から揺さぶりを起こし、体系を再構築していく装置)とでも言うべきものが、仏教には内蔵されているということです。そしてその装置をセットしたのは他ならぬ釈迦その人だったのです。