私は嘘がつけません
「私は嘘がつけません」という主張
それ自体は嘘がつける人でも実行可能
情報量がない
ワンナイト人狼で「私は人間サイドです」って主張するのと同じ
多分、誕生直後の人間は「誰も嘘をつかない」と素朴に信じている
他人が言ったことを本当であると受け止める
その後成長の過程のどこかのタイミングで「悪意を持って騙してくる人」の存在を観測する
そういう人は、当然「私は善良です」「私はあなたのために動きます」という顔で近づいてくる
この問題をどう解決するか
一つの案
観察者を置くことによる囚人のジレンマの破壊
善良な行動をする人には好意的に接するが、そうでない人には報復する、というカミングアウト
周囲に善良な行為をする方向へのインセンティブを発生させる
能力があるという主張は能力の存在の根拠ではない
「本当である」と受け止めてしまいがちな認知バイアスがある
しかし「私は能力がある」とアピールするだけなら誰でもできる
能力があることは、その能力を使って、引き起こした実績によってしか担保されない
「私は嘘がつけません」と主張することと、嘘をついて他人に事実と異なった信念を持たせる能力を示すことのどちらが有益か
結局のところ「善悪か、有益有害か」という軸の取り方の違いに帰着しそう
後者の立場は善悪で考える人から嫌われる可能性はある
全員に好かれる必要はない 嫌われる勇気
他人が言うことを「本当である」と思うのが人間の認知のデフォルト値っぽいけど、幼児でも嘘をつくよね
歪んだ現実認識
「自分はXであってほしい」と「実際にXである」を区別しないで話す