社会的トリガーの質
WHAT UTILITARIANISM ISでの快楽の質の議論を踏まえて、社会的トリガーにも「あるか、ないか」の量の話と「良いトリガー、悪いトリガー」の質の話があると思った
まず主観的な話をすると僕個人にとっては下記のツイートは大差ない価値と認識されている
「この記事はすごい!URL」
「なるほど URL」
「URL」(単なるURLだけのツイート)
「こういう意見もあるようだ URL」
「この意見には同意できない URL」
つまり「言及が発生した」という事実に価値を認めているのであって、賛同に価値を感じていない
例外は「僕が頭がいい人だと思ってる人からの肯定的な評価」か
この段落、下の段落に言及するのでページ末に移動する
この「頭がいい」「肯定的な評価」は解像度の足りてない表現
「自分同様に自分の思考の発展の助けになる情報を喜ぶタイプの人」に「助けになった」という反応をもらうこと、か?
これよりも大きな価値を感じて、しばしばこのScrapboxへの転載もしているタイプの「社会的トリガー」は、記事に言及しつつ、それに追加の情報とか、新しい連想とかが付け加わっている
両方を経験して、僕は後者のトリガーを好むことがわかった