硬直に対する諦め
日本的大企業に対する愚痴を聞く
A: 会社は変化できないものだと思って適応することを選んだ年配者
B: その年配者に対して腹を立てている若者
BがAを責めているシチュエーションが多くて、それを聞いている
Bは変化しないAを責めているので、てっきり変革をドライブしているのかと思いきや、「ん?」と思うこともある
ワークフローは変えられないものだと考えている
勝手にやったらいいのに
面倒な手続きを求められたことに素直に従う
無視したらいいのでは?
リソースを割かずに適当に出したら?
懲戒解雇になんかならないでしょ?
仮に解雇されても転職先があるんでは?
出世コースは決まっていて、自分は出世頭だと思っている
そんなわけない
言語化されている「出世コース」があって、そのコースの上で一番先を進んでいるのは「出世頭」ではない
コースを無視して昇進するイレギュラーが同期に存在しない時に、どうでも良いどんぐりの背比べたちの間で競争を引き起こすための典型的手段だろ、と思う
違和感の原因がなんなのかをしばらく考えていたが、彼らBもまた「変化できない」という考えを受け入れている
B「Aは間違っている、だから自分は正しい」
両者ともに「変化できない」という考えを受け入れている場合、両方おかしいように見える
「両方おかしいのでは?」と見えているときに「Aは間違っている、だから俺は正しい」的な主張をされると却って「Bの方がおかしいのではないか」という気持ちが強くなる
大企業でも変わることができると信じている人の方が、話していて面白い
もっと言えば「自分が、大企業を変えることができる」と信じてアクションをしている人の方が面白い
そして現実に、イレギュラーな昇進を引き起こしたり、大きな金額の投資を引き出したり、新しいプロジェクトを立ち上げたりしている。
それらの行為に対してもBからは当然「ダメな理由」の説明がつけられるのだけど、聞けば聞くほどネガティブな感情の沼に足を取られて沈んでいくように思える。
Bもまた何かに囚われている