研究もせずに利益を知ろうとする好奇心は有害
まだ研究もしていないのに先にその利益を知ろうとする好奇心ほど有害なものはない
"未だ研究もせない前に先づその利益を知らうとする好奇心程有害なるものはない" --- 西田 幾多郎
現代語訳
claude.icon哲学者は科学的知識を尊重すべきなのは言うまでもありませんが、科学者自身以上に科学的知識の根本概念を明らかにすべきだと思います。同時に、科学者自身も哲学的思想を正しく理解するよう努めるべきでしょう。もちろん、ある種の仮定に基づいて研究を進める科学者は、さらに反省してその仮定自体を哲学的に考究する必要がないかもしれません。しかし、深い哲学的思想は科学そのものにも何らかの光明を与えることがあるのは否定できません。
そもそも哲学的知識と科学的知識とはそれぞれ領域が異なり、互いに照らし合うべきものであって、侵し合うべきものではありません。今日の哲学は思索によって経験的法則を論じるのではなく、概念によって事実を曲げようとするのでもありません。さまざまな科学的知識を深く吟味することがその主要な役割の一つなのです。それぞれの知識が拠って立つ根底を明らかにし、その限界を定めるのです。このように言えば、哲学は新しい知識の内容を何も与えず、空理に過ぎないと言われるかもしれません。
このような批判は現代の哲学にとってやむを得ないことかもしれません。しかし、知識そのものの性質を明らかにするということが、それ自体として最も尊い仕事であるだけでなく、このような批判をする人に対しては、少なくともカントが言ったように、まだ研究もしていないのに先にその利益を知ろうとする好奇心ほど有害なものはないと言っておきたいと思います。
原文
哲学者は科学的知識を尊重すべきは云ふまでもなく、科学者自身以上に科学的知識の根本概念を明にすべきものなると共に、科学者自身も正当に哲学的思想を理解することを務む可きであらうと思ふ。勿論一種の仮定の上に立つ科学者は、更に反省して其の仮定其物を考究する哲学的研究を要せないかも知らない、併し深い哲学的思想は科学其物にも何等かの光明を与へることないとは云はれぬ。 元来哲学的知識と科学的知識とは各々其の領域を異にし、互に相照らすべきものであつて、相犯すべきものではない。今日の哲学は思索によつて経験的性則を論ずるのではない、概念によって事実を曲げようとするのではない、種々なる科学的知識の深い批評がその主なる職分の一である。種々の知識の拠つて立つ所の根底を明にして、それぞれの限界を定めるのである。斯く言へば哲学は何等の新なる知識の内容を与へない、空理に過ぎぬと云はれるかも知れない。 かくの如き批難は現今の哲学に取って止むを得ないことであるかも知れない。併し知識其物の性質を明かにするといふことがそれ自身に最も尊き仕事であるのみならず、此の如き批難者に対しては、余は少くともカントの云った如く未だ研究もせない前に先づその利益を知らうとする好奇心程有害なるものはないと云って置きたい。
西田 幾多郎・全集未収載遺稿(二)PDF
二 哲学のアポロジー
カントが直接的にそう書いてる文章は発見できていないので、西田による要約かもしれない
有害な好奇心