直接に与えられるもの
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この論文は、西田 幾多郎の代表的な論文「直接に与えられるもの」を中心に、彼の思想の根幹となる「純粋経験」や「直観」の概念について深く考察したものです。以下、その要旨をまとめます。
西田によれば、構成的思惟に対して直接に与えられるものは、感覚や知覚といった思惟によって構成されたものではなく、主客合一の芸術的直観の世界である。我々の現実の意識は、単に認識対象の世界につながっているのみならず、超認識的世界にも直結している。
真に直接の経験を与える「時」は、カントのいうような形式的な「時」ではなく、ベルグソンのいう純粋持続のようなものである。意識現象の根底には、それを包み限定する意識、すなわち主客合一の直観や純粋活動の意識がある。
働く自己の立場に立つとき、我々は既に超意識界を対象としている。構成的思惟に対して直接与えられるものは、このような無限に深い直観の世界なのである。
我々は現在のみを直観すると考えがちだが、過去を想起するということは過去を直観することに他ならない。記憶において繰り返されるのは感覚そのものではなく、感覚の背後に含まれていた超感覚的なものの発展である。
真に主客合一の直観の立場においては、すべてが現在であり、「時」はその中に消えていく。そこでは「創造して創造されぬ神」であると同時に「創造もせず創造されもせぬ神」なのである。
以上のように、この論文では西田哲学の根本概念である純粋経験や直観について、「意識現象の根底にある超意識的なもの」という観点から考察が深められています。難解な内容ではありますが、西田独自の時間論や認識論の核心に迫った重要な論考と言えるでしょう。