新しいことをやりたいと言う考えは古い
美大に行って一番最初に言われたのが「君たちが生まれるよりとっくの昔に全ての『斬新なアイディア』なんて先人アーティストが出し尽くしてる。オリジナリティや新しさにこだわるより『自分がやる』ことの必然性に価値を見出しなさい」だった 新しい事をやりたいという考えがすでに古い
文脈: 美大
kur.icon このあたりは、理系とはちょっと考え方が違うのかもしれないなと思った。理系の場合、先人の研究をしっかりサーベイして、いかに自分たちが⊿tを出せるか考えるんですよね。そこに「新しいアプローチ」はあるかもしれないけど「自分がやる必然性」で査読は通らないと思う。 Twitter 文脈:
「査読に通らない」は暗黙に「査読に通ることが価値である」と前提している 論文を書いて査読に通すことが価値であると考えているコミュニティ、という文脈
「自分がやる必然性」を重視する価値観は何によって発生したのか
成果が出るまで10年かかるタイプの行動は、大部分の人が「続けられない」ため、続けられることに大きなアドバンテージがある
技術ではなくコンテキストが価値になる
なぜそうなったのか
nishio.icon「技術ではなくコンテキストが価値」という価値観がなぜ発生したのか…と考えてたらフェムト秒レーザーで触れる妖精を作った事例を連想したぞ
美術をやってる人の大部分が技術力低すぎて技術を使って価値を出せないためにコンテキスト(ストーリー性)で価値を生む方向に走りがちなだけなのでは…
「人間が描く」ことにこだわってると、人間の能力はそうそう進歩しないので「過去の大勢の人と同じ土俵で戦う」ハメになるのではないか
tokoroten.icon 市場としてみたときの美術は、コピー不能性(人間が手で作ったモノである)が価値の一部になっているので、そこに情報によるコピー不能性としてのコンテキストが加わっているように思う kur.icon ちなみに今うちの会社の美大卒の人と話をしてたんだど、今は斬新なアイディアを作品単体ではなく、作品を点として、その集合で面としてオリジナリティを出すのが主流とのことでした。これがすなわち、作家性とか、自分がやる必然性として価値を出すことにつながるのかも、と思った。 tokoroten.icon 発注側の視点からすると、複数の点があると、そこの面の中であれば発注可能なんだな、ということが判断できるんだよね なので、似たような仕事をいくつかしていると、「たぶんこれもできるやろ」っていう案件が飛んでくる
kur.icon それもある意味で作家性かもしれない