政治においては言葉が少なすぎる
政治においては言葉が少なすぎる
(宇野)政治学者だって「話せばわかる」というほど能天気なわけではありません。むしろ現実の政治紛争において重要なのは、対立する人々をいかに話し合いの席につかせるかということです。「話せばわかる」というより、とりあえず話を始めさせることが重要で、さもなければ力同士の抗争になってしまいます。また利益政治が横行する現状においては、最後は「金だ、利益だ、黙れ」ということになりかねません。要は、政治においては言葉が少なすぎるのであって、アレントにせよ、ハーバーマスにせよ、政治における言語コミュニケーションを強調するのは、現実にそれが不在すぎるからです。その意味では、政治学者はけっして話せば必ず合意ができるという楽観主義者ではなく、しょせんは力だ、金だというニヒリズムに対抗するために戦略的に言葉による対話を強調しているのだと思います。
p.295
「戦略的に言葉による対話を強調している」のところが面白かった
「Xで解決するとは思ってないが、現状Xが不足しているので、戦略的にXを強調する」という構図は他でもよく見る
DXで全部解決するとは思ってないが、現状DXが不足している、とか