承認欲求と知能
承認欲求が知能を下げるという話、性欲でも下がるという実験結果があるし、恐怖でも下がるし、一般化すると感情を持つと知能が下がるってことでは、と思う。 しかしそう考えると僕の中のある人格エミュレータが「怒りは有益である」って言い出すし、実際に彼はそれで成果を出しているわけだし、どういうことだろうか。 そう考えると、単に「観測可能になるための障壁」が技術の進歩によって下がったことと、承認欲求を刺激することによって行動を促すサービス設計とのせいで、観測範囲が広がっただけなのではないか
おおつね まさふみ
たとえば視線の方向に体や手を向ける本能は、肉体で狩りをしていたり飛翔物から身を守るには有益だったと推測されるけど。自動車が発明されて、高速移動中の運転時にその本能が発揮されると危ない。なので教習所では、視線の動きに手がつられないように訓練するようになった。道具の発明や環境の変化により、有効だった反応が、逆に害になるようになる事例はネット社会でも多々ありそう。
感情は「目的」を生み出すので、問題を解く能力が高いのに解く問題を見つけられてないタイプの人にとっては、その目的の出現が有益な時もある。だけど感情によって非合理的に問題が決まってるから、長期的な視点で見てその目的が有益かどうかは未定、ということかな
欲と行動を訓練によって切り離す、という考え方、空腹でもコンビニの食べ物を をいきなりつかんで食べてはいけない。狩猟採集時代にはOKだったはずだが。同じようなことが、例えば怒りの感情と行動を切り離そうとアンガーマネジメントなんてのが生まれたりしてる。ほんの数十年前まであまり問題視されることはなかった。そのコントロールが重大な差をもたらすように社会環境の側が変わったことでコントロールが意識されるようになった。かつて個人の情報発信力は限られていたが、技術の進歩によって環境が変わった。この時代において、発信に対して恐怖を感じたり、発信に対する反響に過敏な反応を返してしまうことが重大な差に繋がりやすくなって、コントロールの必要性が出てくる。 エゴサーチをするべきかどうか、本名などの一貫性のあるIDを使うかどうか、ネガティブな意見を目にした時に自分の感情をどうハンドリングするか、というあたり
問題は、自分がバッドステータスに陥ってることを自分で認識するのが難しいことだ、Apple Watchは「あなたは今、怒りに任せて文章を入力していませんか?立ち上がって散歩してみましょう!」とか言うべきだし、いずれそうなるだろう、そのコントロールが有益なのであれば。
おおつね まさふみ
承認欲求は群れを作る社会性動物において、親子もしくは師匠と弟子のような対人関係で発生する能力の習得や保護関係から来ていると思われるんだけど。一次元軸のランキングがバズるネタとしてウケるのも、物事を多面的に捉えるよりも上下関係みたいな単純化したモデルで対処することに慣れるからではなかろうか?(仮説) nishio.icon上下関係の他にも「権力を持っている人が悪で、我々は正義だ!正義の鉄槌を!」ってのもバズりやすい印象がありますね(ルサンチマン) 単純化したモデルになるの、処理流暢性が関係しているかも 原田 惇
ざっくりした個人的理解だと、0→1はたいていの場合は合理的にはなしえないので衝動や欲求が必要だけど、1→10は感情的にはなしえないので合理的・知性的にやらないといけないという事なきがする。
というのは、0→1は市場がないこともまぁまぁ多いので、個人的な趣味趣向に基づかない限りは滅多に手を出すことができない。
一方で、1→10は多くの人が賛同して使いやすい形にしていかないといけないので、一定レベルで客観的に考えないといけないという。
nishio.icon0→1と1→10に分けるのは面白い切り口
加藤 真一
うちの猫は一匹だけドアノブを押して開けられる。もう一匹はどんなふうに鳴けば飼い主が言うことを聞くか熟知してる。
ある知能Xは目的aから見たら高い知能だが、目的bから見たら低い知能というように、1次元的ではないのでは。
つまり承認欲求の目的に合わせた知能が活性化して、それ以外が不活性化したという可能性はないだろうか
nishio.icon 確かに、過去の実験が知能を何によって測ったのか気になりますね
近藤 秀樹
我々は現代にいるのでついそこから考えてしまいますが,進化的には逆ですよね.