承認欲求でアウトプットは続かない
kentaro ネットでずっとアウトプットしてる人をみて「自分にはそんなに自己顕示欲ないからなあ」みたいにいうひとがいるが、認識がまったく違う。承認欲求でやってるだけだと、続かない。習慣化や制作そのものへの欲など、自分の外にある、あるいは自分を外に置くことによる継続があるだけである。 kentaro 「成熟」ということについて、それがなんなのかという問いがずっと頭にあった。単に社会の規範を内面化することみたいなのはもちろんのこと、江藤淳的な話にもまったくのれなかった。今になって思うのは、継続することのように、自分の外部とうまく付き合えるということだろうと思う。 kentaro そのような自己への配慮=自己の放擲こそが、個人の感覚=進化的な制約、欲望=他者の欲望に飲まれることから、自分を救ってくれるはずで、そうしたことの全体をゲーテ的な意味で教養というのだろう。もちろんそのことの危うさというのはあるのだが。そこまでいくと、自己顕示欲がどうのとはかけ離れる。 承認欲求でアウトプットは続かない、という点には完全に同意
書いたものに対して誰も反応しなくてもネガティブな気持ちにならないことが大事
それは「他人の反応」に対する期待がゼロになっているということ
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