思考の結節点2021-07-15
自分には才能がない
「ある人Xに才能があるかどうか」を自分は判断することができるという思い込み
を見て思ったが
しばしば死後に評価される人がいるので、この種の「判断する能力」を同時代人が持ってるとは限らないと思ってて
それが承認依存症に対する免疫として働いてるのかも知れない
自分の価値を「自分には判断できない」と思っていて、さらに「他人にも当然判断できない」と思っており、誰も判断できない中では自分が一番マシな理解をしてるので自分の判断を信じてる
あれ、でもこれだと「自分には価値がない」と信じてる人も同じ構図になっちゃうか
やはり合理的な根拠などなく暗黙の前提として「自分には価値がある」と思い込んでいるのかも
追記 自分で自分の味方になれるような自分でありたいを見て「自分に価値があると信じる」「自分に価値がないと信じる」は対称な構図ではないと気づいた
この表現だとどちらも均等に正しいように見える
「自分の味方になる」と「自分の敵になる」とした場合、「いやいや、自分の敵になるのはおかしいでしょ」となる
みんな雰囲気でほめたりけなしたりしてる
社会的トリガーを長年観察してると、何年も前に書いて、書いた時点ではバズったりしなかった記事が、その後何年にもわたって肯定的に言及され続けたりすることを目の当たりにする
一時的にバズってその後言及されなくなる記事よりも、長期的に言及される記事の方が「良い」と思ってる節がある
知識の陳腐化