左右田博士に答う
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西田幾多郎先生が左右田博士の批評に答えた論文の要点をまとめると以下のようになります。
知識には種々の立場や次位があり、客観的対象を認識することと、主観的作用を反省することは同一ではない。カントの純粋統覚は単なる論理的主観ではなく、知覚と思惟との統一であった。
意志的体験も知覚と同様に直接の所与であり、認識主観の立場を深めていくと自然界以上の対象界を見ることができる。意志の自覚は知的自覚より深く、意志の対象界は自然界よりも深い認識主観によって構成される。
真の認識主観は思惟と広義の直覚との統一であり、単なる形式的判断主観ではない。西田はこれを「場所」と呼び、述語となって主語とならない超越的述語面と考える。
場所は有でも無でもなく、判断的知識の成立する一般者である。具体的一般者の背後にはさらに反省的一般者としての場所がなければならない。最終的に概念的限定を越えた場所が「無の場所」であり、そこに自己自身を見るものがある。
西田の立場は認識論的であり、形而上学的ではない。リッケルト流の判断主観の立場を越えて、判断意識そのものから出発し、主客対立の成立や知るということの意味を明らかにしようとしている。
西田哲学の根幹をなす「場所」概念について、左右田博士の批判に答える形で詳細な説明がなされています。認識論の立場から主客対立を越え、知るということの深い意味を問い直そうとする西田独自の思索が展開されている注目すべき論考と言えるでしょう。