専念の価値
「副業なんてしなくてもいい位に金払うからウチの会社の仕事に専念してくれ!」と頭を下げるのが筋 という発言を見て思ったこと
「会社の仕事に専念してくれ」という表現の、「専念には価値がある」という暗黙の仮定に違和感を覚えた。
副業を推進してる会社は専念の価値より「副業によって会社に得られるもの」の価値を高く見積もってるのでは。
ソフトバンクは社内で起業塾みたいなことをやってた記憶。
起業した会社が成長して安定してくると、創業者は「次のビジネスを作り出せる仕組みが必要」と考える
しかし、組織の成員は「成長した企業に勤めてる人」なので視点に大きなバイアスが生じる。
この解消のために外を見て欲しいのだろう。
そこで副業(パラレルワーク)で、より多くの人に会社の外を見る機会を作ろうと考える。 「新規事業立ち上げろ」という社内起業は、組織もメンバもコスト高いのであまり増やせない。
なので副業推進でも会社に価値をもたらさない「単なる時間とお金の交換」な副業をやると、残念な感じになりそう。
副業によって会社に何が持たされるのか、をきちんと説明できるとよい。
それができないのなら、副業解禁で副業自体は許容してもらえたとしても、ポジティブに評価はされないだろう。
先日の「専念に価値を感じていないのでは」って話、51歳になって社長から「副業してみないか」と言われてやってみて、メリットとして「会社一筋じゃなくなった」って会社のブログに書いているというそのまんまな事例があったw