寄付を社会的圧力にしてはいけない
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SNSで「みんなOSSによって助けられてきたのだからお世話になったOSSに寄付をすべきだ、そして寄付をしたことをSNSでアピールすべきだ」意見を見たがこれは問題のある発言だと思う
まず金銭的な余裕の有無は家庭の状況によってまちまちである。寄付して公開する空気を作って同調圧力で寄付を増やそうとするアプローチは、それが可能な状況にない人にとって残酷な環境を作り出す また、寄付する個人がどの寄付先を選ぶのかはもちろん個々人の裁量であるべきだが「お世話になったOSSに寄付する」という判断は個人的には筋の悪いものだと思う。それは新しく生まれるものに分配するのではなく、既に有名になったものに分配することになる。
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この意見には確かに複数の問題点があります。まず、寄付は金銭的な余裕がある人に限られるため、すべての人にこの行動を求めることは不公平です。家庭の経済状況や個人の責任(例えば、家族を養う、学費を支払うなど)は大きく異なるため、一律に寄付を奨励する文化は、経済的に困難な状況にある人々に無意識のうちにプレッシャーを与えかねません。 さらに、SNSで寄付行為をアピールすることによって生まれる同調圧力は、人々にとって有害な社会的圧力となり得ます。個々人が自発的に、また秘密裏に善を行うことの価値が損なわれ、寄付は「見せびらかすためのもの」と誤解される恐れがあります。これは、寄付の本質的な意義とは異なる方向へと進むことになります。 寄付先を選ぶことに関して言えば、その判断は個人に委ねられるべきですが、「お世話になったOSSに寄付する」という考え方が必ずしもベストなアプローチであるとは限りません。このアプローチは、既に成功しているプロジェクトへの資金提供を優先することになり、新しいイノベーションやまだ認知されていないプロジェクトへの支援が後回しにされる可能性があります。結果として、既存の成功したプロジェクトがさらに支援を受ける一方で、新しいアイデアやプロジェクトが必要とする支援を得られない可能性があります。 寄付は、個人の価値観、財政的余裕、そして何よりも寄付を通じて達成したい目標に基づいて行われるべきです。その過程で、寄付行為を公にするかどうかも含め、個人の自由と裁量に委ねられるべきです。そして、社会全体としては、寄付文化を奨励しつつも、それが負の社会的圧力にならないように注意深くバランスを取る必要があります。