客観的な能力とそうでない能力
能力というものが客観的に存在しているのではなく、異なった客観性の能力が存在しているのではないか
たとえば箸で寿司をつまむ能力が僕にあることは箸と寿司を用意してもらえればすぐに証明できるので客観性が高い
CSVに書かれた数値データをヒストグラムの画像にするPythonスクリプトを書く能力が僕にあることも割と簡単に証明できる
もっと大きなプログラムを書く能力があるかどうかは検証がだんだん難しくなってくる
タスクが大きくなると検証コストが高くなる
「プログラム」という言葉は解像度が下がっている
PythonなのかHaskellなのかClojureなのか
研究の能力があるかどうか
「研究」が極端に解像度低い言葉
「論文を書く」というKPIで測るなら、書かないので能力がないってことになるな
現在の雇用者はそのKPIで測らない
学位で測るなら博士取った上で社会人学生で二つ目の修士を取ったなぁ
個人的にはどちらも適切なKPIではないと思う
前者をKPIとする「共通の価値観に基づくコミュニティ」が存在してるのは理解しているが、僕はその中にいない
客観的に検証できないなら、主観的になる
つまり「能力がある」と主観的に信じさせる行動