奇人と変人
「奇」には、珍しい、優れるという「変」にはないニュアンスがあることが分かる。ここがポイントだ。「奇才」というが「変才」とは言わない。「奇偉」は優れて偉大なこと、「奇警」は優れて賢いこと、「奇骨」も珍しい気骨があること、「奇士」は優れた人物、「奇童」は神童と同義、「奇抜」の第一義は優れて抜きん出て並々ではないこと、「奇麗」は優れて美しいこと 「奇人」の第2の意味は、暇な人である。余裕を感じさせて、いいですねぇ。
「変な」じゃなくて「奇妙な」企画を立てた。企画立てついでに、「奇怪な」色紙まで書いた 未踏で素晴らしいと思った奇人たちの共通項は好奇心の強さである。つまり、「奇」を好む心の持主だということだ。 「奇抜」という言葉、今だと奇を衒うニュアンスが強くなってしまったけど、元々は卓越のニュアンスがあったのか 奇(き)を衒(てら)・う: わざと普通と違っていることをして人の注意を引こうとする。デジタル大辞泉 関連
「奇想天外」も卓越的奇抜な「想」なので、良い意味での「奇抜なアイデア」なわけか
あー、なるほど、「天から降って来た」のニュアンスか。
「奇」とは卓越していたり天から降って来たりするものである、と前提した上での「好奇心」は、田舎でよくあるような「Aさんとこの娘さん、嫁入り先から戻って来たみたいよ、何があったのかしらヒソヒソ」みたいなものは含まないだろうな
ところで今の僕の感覚だと「変人」に「変える人」という積極的な意味を見出すカルチャーが生まれつつあるように思う
社会が普通の人(凡人)に任せていても成長するフェーズにおいては「奇人」は暇を活かして奇想天外なことをしていればよかったのだろう 「奇人」の第2の意味は、暇な人である。余裕を感じさせて、いいですねぇ。
だが、普通の人は現状維持をする方向に偏っているので、変人が変革をリードしないといけない