大金剛輪陀羅尼
なうまく。しっちりや。ちびきゃなん。たたぎゃたなん。あんびらじびらじ。
まかしゃきゃらばじり。さたさた。さらてい。さらてい。たらいたらい。
びだまにさんばんじゃに。たらまちしった。ぎりや。たらんそわか。
ご家庭でのお祈り - 瀧谷不動明王寺(瀧谷不動尊)
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前提:一つの「原梵文」が確定しているわけではない
大金剛輪陀羅尼は、通常の古典サンスクリットで書かれた整然とした一文というより、
礼拝句+種字+尊格への呼びかけ+浄化・救護の語+儀礼的結句
からなる陀羅尼です。サンスクリット・チベット語・漢字音写の諸本に細かな異同があり、とくに後半の一部は意味が確定していません。以下では、日本の真言宗で唱えられる形に近い『甘露軍荼利菩薩供養念誦成就儀軌』系の本文を中心に示します。(高野山大学)
題名のサンスクリット
日本語の「大・金剛・輪・陀羅尼」をそのまま逆翻訳すれば、
Mahā-vajra-cakra-dhāraṇī
となりそうですが、諸本と陀羅尼本文に現れる尊名から見ると、本来の名称はむしろ、
Mahācakravajrī-dhāraṇī
マハーチャクラヴァジュリー・ダーラニー
であった可能性が高いとされています。
本文では呼びかけの形で mahācakravajri と現れます。つまり「大金剛輪」という抽象物の陀羅尼というより、Mahācakravajrīという尊格、すなわち大金剛輪尊・金剛輪菩薩に対する陀羅尼と理解する方が自然です。漢訳の過程で cakra–vajra と vajra–cakra の語順が入れ替わった可能性があります。(Academia)
日本伝承に近いサンスクリット還元形
code:text
namas tryadhvikānāṃ tathāgatānām |
aṃ viraji viraji mahācakravajri |
sata sata sārate sārate |
trāyi trāyi vidhamani saṃbhañjani |
tramati-siddhāgrya trāṃ svāhā ||
日本の伝承音では、おおよそ次のように対応します。
table:_
日本の伝承音 サンスクリット 意味
のうまく namas ← namaḥ 帰命します、礼拝します
しっちりや・じびきゃなん tryadhvikānāṃ 三世に属する。過去・現在・未来の
たたぎゃたなん tathāgatānām 如来たちに
あん aṃ 種字。通常の単語としては訳さない
びらじ・びらじ viraji viraji 離垢なる者よ、離垢なる者よ/垢を離れさせよ、離れさせよ
まかしゃきゃら・ばじり mahācakravajri 大金剛輪尊よ
さた・さた sata sata 難語。伝統的には「智慧ある者よ」などと訳すが未確定
さらてい・さらてい sārate sārate 堅固なる者よ、堅固なる者よ
たらい・たらい trāyi trāyi 救護する者よ/救え、救え
びだまに vidhamani 滅除する者よ/滅せよ
さんばんじゃに saṃbhañjani 打ち砕く者よ/打ち砕け
たらまち tramati / taramati 難語。三智を備えた者/最上の智または明呪の智をもつ者
しったぎりや siddhāgrya / siddhāgre 最勝の成就者よ/成就者の中の第一よ
たらん trāṃ 種字。通常の単語としては訳さない
そわか svāhā 儀礼的結句。おおよそ「成就あれ」「捧げ奉る」
この対訳は、漢字音写からの還元と、Hatta/Dreitleinによる伝統的な解釈、Kuranishiによる文献学的検討を組み合わせたものです。(高野山大学)
意味を通した全体訳
文献学的に確実でない語を無理に断定しない形で訳すと、次のようになります。
過去・現在・未来の三世の如来たちに帰命します。
Aṃ。離垢なる者よ、離垢なる者よ。大金剛輪尊よ。
〔sata、sata〕。堅固なる者よ、堅固なる者よ。
救護せよ、救護せよ。滅除する者よ、打ち砕く者よ。
最上の智を備え、成就者の中で第一なる者よ。
Trāṃ。Svāhā。
伝統的な解釈を強めるなら、後半は、
智慧ある者よ、智慧ある者よ。堅固なる者よ。守護せよ。滅せよ、砕け。三智を成就した最勝者よ。
ほどになります。高野山大学の校訂訳でも、sata を「wise one」、tramati-siddhāgrya を「三つの智慧を成就する最勝者」とする訳が紹介されています。(高野山大学)
訳が確定しない二つの語
sata sata
ここは最も難しい部分です。
伝統訳には「智慧ある者よ」などがありますが、現存する語形の sata から、その意味が直接かつ確実に導けるわけではありません。別の研究では、satas「常に・等しく」の崩れ、あるいは異なる語の音写などが提案されていますが、Kuranishiは最終的に未訳のまま残しています。したがって、
sata sata =「智慧ある者よ」
と断定することはできません。(Academia)
tramati / taramati
日本伝承では「たらまち」と読まれます。
従来は tri-mati ないし traya-mati と解して、「三智」、しばしば聞・思・修の三種の智慧を表すとされてきました。しかし諸本には taramati という読みが多く、また「三種の智慧」なら通常は mati より prajñā が使われるため、この解釈には疑問が残ります。
別案として、
最上の智をもつ者
真言・明呪に関する智をもつ者
他を超える智をもつ者
などが考えられています。(Academia)
陀羅尼全体が行っていること
この陀羅尼の意味の核は、単なる「悪を打ち払う呪文」ではなく、
破れたり曇ったりした三昧耶を回復し、身・口・意を浄め、再び曼荼羅との関係に入る
ことにあります。
『甘露軍荼利菩薩供養念誦成就儀軌』では、身体の動作・発語・心の動きによって菩提心を忘れたり善根を失ったりした場合、この印と陀羅尼によって過失を除き、三昧耶を元に戻し、身口意を浄め、一切の曼荼羅に入って灌頂を受けられると説明されています。別の儀軌では「再び輪壇に入る」ことや、破った三昧耶を清浄にすることが説かれています。(高野山大学)
したがって、内容を日本語で一文にまとめると、
三世の如来に帰命し、大金剛輪尊の離垢・堅固・救護・滅除・摧破の働きによって、身口意の過失と破れた三昧耶を浄め、曼荼羅との完全な関係を回復させてください。
となります。
日本の勤行で、読誦や作法上の過失を補う「補闕」の陀羅尼として唱えられるのは、この過失の除去・三昧耶の回復という儀軌上の機能を、日常の勤行に適用したものと考えられます。(高野山大学)
異本について
より古い『Śikṣāsamuccaya(学処集成)』のサンスクリット写本系では、冒頭が、
namaḥ sarvabuddhabodhisattvānām
一切の仏・菩薩に礼拝します
となっており、日本伝承の、
namas tryadhvikānāṃ tathāgatānām
三世の如来たちに礼拝します
とは異なります。また、諸本によって aṃ / oṃ、tramati / taramati、siddhāgrya / siddhāgre などの違いがあります。このため、上に示したものは「唯一の原文」ではなく、日本伝承に対応させた有力なサンスクリット還元形と位置づけるのが適切です。(Academia)