大きい主語は思考の節約
「主語が大きいことを特に主張したいわけではないけど、雑に一般化して語るのは楽だから、結果として主語が大きくなる」説を推したい。 「主語を大きくすることは本意ではなく、単に自分の世界が狭いためにサンプル数も少なくて、その中で論を組み立てたために結果として主語が大きくなる」説もある。 思考ゲームとしては、だから、「主語が大きい主張」を見かけたときには「その主語はどこまで小さくできるか」を考えるとおもしろそう。
「私は〇〇だ」という主張も場合によっては大きな主語になる。時間的な制約といった付加的条件がいるかもしれないから。 心がくたびれているときには特に注意がいる。「私はもう〇〇だ」という判断は過度な一般化であり「大きな主語」の可能性が高い。心が疲れているときには視野が狭くなり、世界が狭くなるから。