多様性のコスト
「多様性はコストがかかる」ってのはその通りだと思うけど、マジョリティの人がそれを理解する前から多様性は存在していて、多様性のコストはマイノリティが負担していたってだけなんじゃないのかな。多様性がいま新しく作られてるのではなく、元からあったものにようやく気付いただけ。 関連
フィードバック
原田 惇
男女雇用機会均等法の成立が1985なわけなんですが、それ以前は仕事と教育は男のものだったんですよね。
今くらいの多様性は、少し前には存在しなかったんだと思われます。少なくとも昔よりはだいぶ増えていて新しく作られていってるのではなかろうかという感じがします。
nishio 「仕事は男のもの」という同じ状況に違った解釈がある。僕はその状況を「男女という多様性は元からあって、その多様性のコストは『仕事に就けないことで女性の生涯収入が下がる』という形で女性が負担していた」と解釈している。
たぶんどの部分を切り取るのかの差で、地球全体を系とするなら多様さは変わらないのよね。僕は仕事という側面を切り出して系としていて、するとそこに女性が入ってくると多様性が増すという。
大久保 康平
nishioの説は「多様性の担保は当然である」という前提を共有した相手としか成り立たない気がするが。
いいや「多様性は担保するとかしないとかではなく現象として存在しているものであり、それに起因するコストは誰かが負担している」という主張なので担保は関係ないと思います。
Shunsuke Soeda
コストのかからない「多様性」とコストをかける必要のある「多様性」をごっちゃにして話しているだけな気がするけれども...
「コストのかからない多様性がある」という発想そのものが、コストをマイノリティに押し付けて「ないもの」としているだけじゃないの、という批判です。
あれ?多様性が存在すること自体の話と、コストをかけて機会を均等にする話とごっちゃになっているなぁ、と、言うのが僕の元コメントの意図です。
多様性はあるものなのに、それにコストがかかるケースはあるの?
まず機会を均等にする話はしてないし、多様性があることでコミュニケーションコストなどいろいろなコストが発生してマイノリティ側に押し付けられてるわけです。
原田 惇
多様性の議論は色んな側面があるのだけど、シンプルに「色々な人がいる状態」という現象をとらえて話するだけだとコストの議論が入ってこないからモヤっとするんだと思う。そこに「いる」だけでコストが発生するわけではないので。
多様性の議論には背景が必要で、「仕事」なら「女性の出産する場合のキャリア云々」がコストとしてありうるだろうし、「コミュニケーション」なら「言語・宗教・信条・人種・・・」とかのコスト(というか摩擦?)の議論が出てくるという。...もっと見る
人間は物じゃないので「いる」だけで色々な活動をするし、活動にはコストが伴う、そのコストに意識が向かないのは自分と同質性の高い人しか見ていないせいで、多くの場合それは「マジョリティがマイノリティの存在を無視する」ということによって発生している、というのが僕の主張です。