同一であっても交換できるとは限らない
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「明けの明星」(夜明けの東天に輝く星)と「宵の明星」(日暮れの西天に輝く星)は、どちらも金星です。ここで問題が起きる。もし名前の意味が「指している対象」だけなら、
「明けの明星=明けの明星」……当たり前で無内容
「明けの明星=宵の明星」……これも金星=金星だから同じく無内容のはず
ところが後者は天文学上の発見でした(古代人は長らく別の星だと思っていた)。同じ対象を指す等式なのに、片方は無内容で片方は発見である——名前の意味が指示対象だけなら説明がつかない。
フレーゲの解決は、名前の意味を二層に分けることでした:
意義(Sinn・提示様式)=その対象がどのような与えられ方で捉えられているか(「夜明けの東に輝くものとして」/「日暮れの西に輝くものとして」) 「明けの明星=宵の明星」が発見なのは、二つの提示様式が同一対象に収束するという新情報だからです。
そして決定的なのが置換の失敗です。普通の文脈では同一対象の名前は交換できます(「明けの明星は惑星だ」⇄「宵の明星は惑星だ」、真偽は変わらない)。しかし「古代バビロニア人は明けの明星が夜明けに昇ると信じていた」の中で名前を交換すると、真だった文が偽になりうる。信念・知識・引用のような文脈は、指示対象でなく提示様式に感応する——これを内包的文脈と呼びます。 -----
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大日如来=不動明王なのになぜ入れ替えて表現してはいけないのか、という議論をしていた 遡って考えると本地垂迹説も「指示対象は同一であるが、異なる提示形式で表れているのだ」という話だったんだな