人が対等であることと時間を割くことはイコールではない
ここに映画が100本あり、どれも同等に素晴らしいとする。
100本すべてを見る時間がないならば、一部だけを見る。
この時、どの映画を選ぶかは個人の主観的な好みで決まる。
同様に、ここに人間が1億人いて対等であるとする。
24時間すべてを他人とのコミュニケーションに使うとしても、一人当たり0.8ミリ秒しか使えない。
なので一部だけとコミュニケーションするし、誰とコミュニケーションするかは個人の主観的な好みで決まる。
他人が自分に時間を割かないときに「見下された」と感じる人がいる
コミュニケーションが同量の時間消費であるという思い込み