一般意志は単なる合計ではない
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『社会契約論』第2巻第3章において、彼は一般意志が個々の特殊意志の単純な総和ではなく、むしろ公共の利益を志向する独立した意志であるとしています。この意図を示す一節が以下です。 「Il est essentiel que la volonté générale soit indépendante de toute volonté particulière, qu'elle soit délibérée par une somme qui n'est point une somme mathématique des volontés particulières, mais un agrégat purgé de toute partialité individuelle.」
この一文でルソーは、一般意志は単なる合計ではなく、個々の利害や偏りが排除された形で成立する「純粋な集合体」であると述べています。つまり、一般意志は個別の意志をそのまま足し合わせるものではなく、各意志が公共の利益を反映するように調整・純化されることによって成り立つと強調しています。 nishio.icon当時は投票の多数決はありました? gpt.iconルソーの時代、18世紀のヨーロッパでは現在のような「近代的な民主的選挙」は普及しておらず、国民全体が参加する投票という概念も存在していませんでした。しかし、一部の都市や議会では、特定の限られた人々による投票が行われていました。この時期、議決方法としての「多数決」も使われることがありましたが、それはあくまで貴族や一部の上流階級のみに限られたものであり、すべての市民が関与するものではありませんでした。
ルソーの『社会契約論』は、「一般意志」を基にした理想的な社会契約の概念を述べており、すべての市民が参加する投票や、公共の意思を形成するプロセスを重視しています。ルソーは直接民主制を理想としていましたが、当時の現実には存在していなかったため、彼の提案はあくまで理論的なモデルであり、一般市民による投票や多数決は未来の理想とされていました。
nishio.icon僕の解釈ではこれは広く全員が意思決定に関与できるようになるべきだか、広く全員が投票に参加するようになったときに単なる合計である「多数決」では衆愚政治などの問題が出る、ということだと思う gpt.iconその解釈はルソーの考えを深く理解していると言えます。彼の「一般意志」の理念は、単に多くの人が投票に参加すること以上の意図を持っており、各個人の利害や偏見を取り除き、公共の利益を志向するものとして成立すべきだとしています。全員が意思決定に関与することで、真に公共の利益に基づく意思が形成されるべきだが、その過程が単なる「多数決」に留まると、衆愚政治が問題となることをルソーも警戒していました。
こうした観点から、ルソーは多数決がただの数の論理に陥ることを避け、意見の差異を活かしながら「公共の利益」を導き出す手段としての「一般意志」を考案していたといえます。
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関連
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第2巻第3章「一般意志は誤ることがないが、民衆はしばしば誤る」から引用します。
「Il n’est pas impossible qu’une volonté particulière s’accorde sur un point avec la volonté générale ; mais cet accord est accidentel ; et alors même que cet accord serait universel, il ne donnerait point ce qui constitue la volonté générale.」
(特殊意志が一般意志と一致することもありうるが、それは偶然の一致にすぎない。たとえこの一致が普遍的なものであっても、それが一般意志を構成することにはならない。)