モデルと眼鏡と似顔絵
というのは、物理のセンスに近い考え方。「モデル=似顔絵」説かな。赤池ふうのモデル観はむしろ「モデル=メガネ」説。統計モデルというのはこの両極端の間のどこかに位置づけられるのだろう。 という伊庭先生の発言の「似顔絵」と「メガネ」の意図が社内で議論になったので西尾が解説した文章 「モデル=似顔絵」説
「人間の理性は現象を認識できる」という前提
「その現象を近似的に表現したもの」がモデルであるという考え方 似顔絵は、大前提として真の顔を認識できていて、それの近似で作られる
哲学:人間は理性を働かせることで真理を認識することができる(明証説) 「モデル=メガネ」説
「人間の理性は現象を認識できない」という前提
「その現象をよりよく認識するための道具」がモデルであるという考え方
メガネは、メガネ無しで顔を認識できず、顔をより良く見るための道具として存在する
「メガネをかけたら真の顔が見える」とは言っていない
哲学:人間は真理を認識することはできず、不完全な模写を作ることしかできない(模写説) 赤池先生「唯一無二の真の構造は存在しない。我々はより良いモデルの探究を通じて、常に未知の状態にある究極的な真理あるいは真の構造に迫るのである。我々が追求する真理は、現在の知識に依存するという意味で相対的な、対象の一つの近似を与えるモデルによって表現されるようなものに過ぎない。」
20世紀後半になると、現実の問題が複雑化・多様化する中で、「真のモデル」の存在を前提とする、従来の統計的推論の枠組みはしだいに現実にそぐわないものとなってきた。
1973年、赤池氏は将来のデータを予測する状況を想定し、もっとも良い予測値を与えるモデルを求めるための規準AIC(Akaike Information Criterion)を提案し、統計学の歴史に偉大な足跡を残すこととなった。
赤池先生は、人間が「真のモデル」を知りえない、とする模写説の立場の統計学を進めた、と哲学史的には位置づけられるだろう。 2017-06-09
2022-05-20 少し文章を改善した
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