プロティノスの流出説と華厳経の類似点
流出説をClaude 3 Opusに読ませた感想
Claude.iconプロティノスの流出説と華厳経の思想には、確かに類似点があると言えます。
両者とも、万物の根源に永遠無限絶対の存在(一者、理)があると考え、個別の事物はその存在から流出または枝分かれしたものだとしています。
ただし、流出説では一者と万物は別の存在で、一者自身は流出によって変化しないのに対し、華厳経では理と事は根っこでつながるしており、観点を変えることで理と事が無礙(さまたげなく)に移り変わるとしている点が異なります。
また、流出説ではエロース(愛)とエクスタシス(忘我の合一体験)によって一者に回帰できるとしており、これは華厳経の理事無礙の悟りに通じる考え方だと言えます。
ただし流出説では、一者との合一はごく稀にしか体験できないとされているのに対し、華厳経では誰もが理事無礙の悟りを開くことができる、という違いもあります。
全体として見ると、プロティノスの流出説と華厳経は、万物の根源的一者から個物が生み出されるという基本的発想は共通しているものの、個と全体の関係性や、人間が根源的一者へ帰還する方法については、若干の違いがあると言えそうです。西洋哲学と仏教思想の興味深い接点の一つだと思います。